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『新歴史・時代小説家になろう』第18回「歴史上の人物の背中に乗って飛翔する」

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 さて、今回の「新歴史・時代小説家になろう」はちょっと趣向を変えて、歴史・時代小説だからこそできるワザについてご説明しようと思います。

「小説を書く」とは

 これ、どちらかというと、こちらではなく、天狼院書店さんの創作講座でお話しした方がいいんじゃないか、という気がするのですが、と前置きしつつ。
 小説を書く、とはどういうことでしょう?
 もちろんこれには色んなお答えがあってしかるべきです。ですが、一つの模範解答をわたしが示そうと思います。
 「ある種の知性生物を描くこと」。
 なぜ「人間」と書かないのかというと、SFの場合人工知能や宇宙人など、ある種のファンタジー作品だと木や動物などが主人公である場合があります。そうした場合、それらの登場生物・無生物は(違いが強調されることはままありつつも)人間が理解できる知性でもって貫かれています。
 では、「知性」とは何か。正確には、人間が感知できる知性とは何か。
 それは、「人間とよく似た形態の知性」に他なりません。
 すなわち、過去、現在の経験や人生の文脈から形成された性格、行動パターンを持ち、これらによって高度に制御された存在、ということです。
 つまり、小説を書くということは、非常に複雑で厄介な「知性」をいくつも作り出し、これらを対立したり協働したりするように配置してやり、ちょうど甲と乙がぶつかりそうなところに先回りして舞台装置を作ってやる、そんな作業なんです。

「モデル」の有効性と、歴史・時代小説

 とはいえ、これらの「知性」をゼロから作り上げるのは結構大変です。そりゃそうですよね。だって一人の人間を作り上げるのと同じことなんですから。
 だからこそ、小説の養成講座などでは「実在の人物をモデルに登場人物を肉付けしてみましょう」などと言うわけですね。「こういうシチュエーションに置かれたとき、あの人だったらどういう行動を取るだろう」と考えてやるだけで、モデルにした登場人物の行動を推し量ることができるのです。あるいは、「自分の好きな映画やマンガ作品などのキャラクターをモチーフに、登場人物を形作ってみましょう」というのもその類例です。いや、丸パクリしろと言っているわけじゃないですよ。既存作品の登場人物が持っている「選択肢のパターン」を抽出してやることで、肉付けとする技法です。
 そう。ここで、「モデル」という話が出ました。
 歴史・時代小説は、「モデル」を取りやすい小説ですよね。
 だってそうじゃないですか。歴史小説、時代小説はどちらも「過去を材に取っている」ものであり、実在の人物が出てくることも多いのです。そして、有名な人物となると、史実が広く知られ、フィクションで何度も再生産されるうちに映画やマンガの登場人物のように強い輪郭を持つようになる人もいます(織田信長なんかはその代表格でしょう)。歴史小説はもちろん、時代小説も、「モデル」を取りやすいのです。

実在の人物から人間を学ぶ

 歴史上の人物をモデルにすること。これは、創作者にとってはかなり有効な武器なり得ます。
 どういうことか。
 フィクションの登場人物は、大なり小なり作品の神である作家、あるいは作品世界のルールによってある一定の方向に引きずられています。そのため、フィクションの登場人物をモデルにした登場人物は、どんどんイメージ化、抽象化されてゆき、最終的に「あるあるの集合体」となります。これが「キャラクター」「キャラ属性」と呼ばれるものの正体なのだと思います(念のため申し添えておくと、それが悪いとは申しません。むしろ登場人物のキャラクター化は、作品によっては歓迎すべきものだとわたしは考えています)。
 しかし、歴史上の人物には、物語の力学によって引きずられるという現象がありません。なので、その行動を眺めていると矛盾に満ちているように思えるのではないかと思います。でも、そうなんです。人間は元来、矛盾に満ちている存在なのです。お腹がいっぱいにも拘わらずラーメン屋に駆け込んでしまったり、ダイエット中にも拘わらずケーキを食べちゃったりする生き物なのです。そして、そういう人物の矛盾や釈然としなさに人間臭さを嗅ぎ取ってもらえたなら、この稿を書いた甲斐があるというものです。
 人間により近い登場人物を描く場合、人間が生理的に持つブレや歪みを(作品を破綻させないよう慎重に)描く必要があります。歴史上の人物をモデルにするのは、登場人物を深める意味でも有効で、もし、これから一般文芸を書こうと考えている小説家志望者がいらっしゃるなら、いっそ歴史小説を書いて練習としてみてはどうでしょう、というのがわたしの提案なのです。

せやかて織田信長は!?

 さきほどちょろっと書きましたが、歴史上の人物の中にはフィクション作品が蓄積されて、強い輪郭を持った人物がいる、と説明しましたね。これを説明する際には織田信長が便利なので彼を例に引いていきますが、往々にして織田信長は南蛮具足に西洋式マントなどの姿を持ち、型破りな発想力を持った天才であるとされています。しかしこれは信長を指して「革新的」と評した戦後史学の成果を受けたものですし、桶狭間の戦いで鮮やかな勝ちを取ったなどの年譜から増幅されたイメージに他なりません。
 つまるところ、歴史上の人物も、有名であればあるほど「キャラクター化」しているといえます。
 実は、有名な人物を描くときの難しさがここにあります。
 逸話に彩られた=キャラクター化している歴史上の人物は、キャラクターとして扱った方がある意味で楽なんです。ところが、そうすると新味が出ない。新たなキャラクター性を付与するか、新たな人物像を与えていくか。特に、人物造形が問われる一般文芸的な歴史小説を書く場合には、この辺りが重大な問題になっていきます。
 では、そうした場合、どうしたらよいのか。
 それは……、次回に続く。
 

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