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『雲州下屋敷の幽霊』(文春文庫)で培ったもの

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 『雲州下屋敷の幽霊』はわたしにとっては若書きに属するものです。連載は2016年から2018年頃、単行本発刊が2019年ですからねえ。だからこそ、今のわたしから見ると色々恥ずかしいところがあったり、別のアプローチもあったんじゃねえかと身もだえする日々ですが、それにつけても本書を思い返すと、今のわたしを形作っている一作なのだなあという気がします。

 本作に存在する「残酷さ」は、本連載のきっかけにもなった幻冬舎刊『しゃらくせえ 鼠小僧伝』由来のものでした。江戸庶民・江戸の町の持つ「残酷さ」が鼠小僧を駆り立て、最終的には……という筋立ての物語なのですが、本作はその要素を拡大したシリーズなのです。
 江戸の「いやらしさ」を様々な角度から……という狂ったコンセプトの本企画、「人間の悪意とは?」「なぜ人は人間の悪意を見たくなるのか?」「なぜ人は悪党に惹かれるのか?」「悪い人間と悪党の違いとは?」などなど、色々考えて書いていました。
 悪党の顛末という意味では、本作四作目の「落合宿の仇討」がわたしにとっての到達点だったと思っています。刹那に生きる主人公がふらふらと彷徨し、理由なく人を斬り、理由を持って動く人間に負け、土砂降りの雨の中、流れ流れていく……。個人的に、あのラストは今でも好きです(よろしければ読んでみてね!)
 そして、「落合宿の仇討」のあの世界観はそのまま『小説 西海屋騒動』(二見書房)に利用されていたりします。
 また、語り物、という意味では「夢の浮橋」が本書での到達点。本書などで得たあれこれは、後に書いた小説すべてに好影響を与えています。そして脱稿したばかりのある小説に、もろに影響を与えています。

 もちろん、今後どうなるかは分かりませんが――。
 たぶん、『雲州下屋敷の幽霊』は、わたしにとってかなり重要な位置を占める小説になったんじゃないか、そんな気がしています。

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