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八重洲ブックセンター本店フィナーレ企画・八重洲挿話に寄稿した拙作「南大工町の幽霊譚」のライナーノーツ

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イントロダクション

 三日あまり八重洲ブックセンター八重洲本店さんにて開かれておりました企画「八重洲挿話」にお越しくださったみなさま、まことにありがとうございます。
 こちらは朗読集団「ある日の役者たちの自主練」さんと歴史小説イノベーション操觚の会との協働企画で、操觚の会会員の書いた、八重洲をテーマにした書き下ろし小説を「ある日の役者たちの自主練」の皆さんで朗読するというものでした。その企画にわたしも書き下ろし作品で参加した次第でございます。八重洲ブックセンター八重洲本店の皆様(特に窓口になってくださいました内田さん)、「ある日の役者たちの自主練」の皆様、そして何より会場に足をお運びになられた皆様に厚く御礼を申し上げます。
 とはいえ、わたしとしては大変分かりづらい(というか、時代小説を読み慣れていない方には難しい)小説を書いてしまったなということもあり、また、朗読劇のために書き下ろしたという性質上、あまり多くの方の目に留まらない小説になるだろうということもあり、いっそのこと、ここで種明かしをしようというのがこのnoteの趣旨でございます。拙作を聴いてくださった皆様のご理解の助けになれば幸いでございます。

時代背景・用語など

 本作についてまずツッコミがなされそうなのが、「谷津さんの小説、全然八重洲が出てこないじゃん!」というものでしょう。
 こちら、現地でもお話ししましたが、今、「八重洲」と呼ばれている地域は江戸時代は別の名前でした。近代に行なわれた東京駅を始めとする丸の内・八重洲地域の開発事業によりそういった錯誤(というか地域名のズレ)が起こったそうです。いずれにしても、今回、八重洲ブックセンター八重洲本店さんのフィナーレを飾るにおいて、八重洲ブックセンター八重洲本店さんのある場所に花開いた二人の男の物語を書こうと考えました次第です。というわけで、八重洲ブックセンター八重洲本店さんの立っている辺りが当時南大工町であることを突き止め、お話を作りました次第です。
 お次に時代背景について。語り手である士免が語っているのはもう少し後という設定ですが、お話そのものの焦点は天明年間から寛政年間にかけての時期です。自由主義経済的な田沼意次の時代と、質素倹約緊縮財政主義的な松平定信の時代を描いています。天明期には、滑稽と穿ちを旨とする和歌、狂歌が流行します。やがて、この狂歌の詠み手の中から戯作者が生まれ、次々に戯作が刊行されていくようになります。
 お次に、当時の書店・出版社について。
 今でこそ分化していますが、江戸期においては本屋が自ら商う本を企画、製造して販売していました。当時は「版元」とも呼んだのですが、この「版元」にも、大きくは「書物問屋(しょもつどんや/しょもつといや)」と「地本問屋(じほんとんや/じほんといや)」がありました。書物問屋は専門書、地本問屋は娯楽本や浮世絵と専門がありましたが、この時代には少しずつ二者の垣根が緩んできていました。

始閣堂士免という男

 本作を理解するに、本作の狂言回しである始閣堂士免の存在は無視できないでしょう。
 著者としては、40歳代のイメージです。
 実は、始閣堂士免には実の名前が設定されていません。非実在の人物です。が、その人生についてはかなり詳細に定められています。ところが、本作はあくまでインタビュー形式の語り物なので、詳細については伏せられている格好です。ただちょっとヒントを。
・(実の子ではなく)甥に役目を譲っている
・始閣堂士免には家族の影がない
・地位の高い勤番武士なので結婚経験がないわけはない
 劇中の描写などから想定される、彼の人生はいかに……。この辺りは、皆さんの方で想像してみていただけると嬉しいです。彼はあまり自分の家庭について話していませんが、途中で出世に意欲を失っているのはもしかして……?
 ちなみに、始閣堂士免の名は劇中での説明の通り、「四角四面」にかけた戯作者名です。いや、士免さん、めちゃくちゃ真面目な人ですよね。「趣味がないから探そう!」としちゃうあたり、四角四面ですよねえ。なのですが、これを決めたのは、士免に戯作を書くようにそそのかした白雲堂丁子屋又兵衛だというのがミソです。「士免」(武士を辞める)と名付けた辺りに、又兵衛の心の内を推理しても面白いかもしれません。

丁子屋又兵衛という男

 もう一人の主役、丁子屋又兵衛ですね。又兵衛も実在しません。
 個人的には、「小蔦屋(重三郎)」のイメージで書いています。
 本作にも名前だけ登場しますが、当時有名だった地本問屋、耕書堂の蔦屋重三郎は、当時の時代にあってかなり横紙破りなことをしています。たとえば、吉原のガイドブック「吉原細見」について現地の実情をきちんと取材して実用性を高めることで売上げを伸ばし、本来は書物問屋の領分だった狂歌本に挿絵をつけて当たりを取ったりしています。又兵衛はそうした蔦屋のフォロワーだったわけです。
 その後蔦屋は政治(当時の言葉で「御政道」)を茶化す戯作を発表したことで摘発され、処罰を受けます。「身代(財産)半分没収」の罰だったとされていますが、どうやらそこまで厳罰に処されたわけではないらしいです。とにかく、蔦屋はこの一件で政治を茶化すのをやめたのですが(その後に蔦屋が出すのが東洲斎写楽の役者絵)、丁子屋又兵衛は御政道批判の戯作が止められなかった、という設定になっています。蔦屋と比べて商売が下手だった、ともいえるでしょうし、フォロワーゆえに先鋭化せざるをえなかったのかもしれません。あるいは……? そういったあれこれを想像していただけると嬉しいです。

なんでも

 八重洲ブックセンター八重洲本店さんで『八重洲挿話』の短編集が刊行されているそうなので、もし本公演を聞き逃してしまった方も、八重洲ブックセンター八重洲本店さんでお買い上げくださいましたら嬉しいです。



 

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