信長様はもういない書影

小説の「心技体」ってなんだ 1

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 小説家は商売人であると同時に職人でもあるというのがわたしの持論で、その両方の要素をうまく育てていくとうまく行きそうだんべ、というのが今のわたしの暫定的な考えなのですが、実は商売上の秘訣をあんまり表で喋ってしまうと職人性というかイメージを毀損する面もあって、あんまり表では書けません。回り回って商売に差し障ってしまうので、割とわたしは職人としての小説家、みたいな話を良くさせていただいているのですけれども。

 というわけで、今日は若手中堅小説家の、心技体考察noteでございます。

 相撲なんかで言われる言葉で、「心技体」ってありますよね。実は小説家にもそれってありますよね、という話です。

 思うに、小説を書く際に必要なのは大きく分けて

 アイデア
 技術
 フィジカル

 だと思います(天狼院書店さんでの初心者講座を受講なさった方は「『アイデア』に当たる部分は『根源』って言ってませんでしたっけ?」とお思いの方も多いと思いますが、物事を説く際には、相手の置かれた立場に応じた説明の仕方があるということをご了解いただけたらと思います)。

 これはわたしの実感ですが、モチベーションが無限にあると仮定した場合において、アウトプットと技術はほぼ比例の関係にあるんじゃないかと思います。つまるところ、書けば書くだけ巧くなってゆく。逆に言えば、書くのをさぼると少しずつ腕が鈍ってゆく。技術は毎日磨いてこそ技術といえるのかもしれませんね。
 ですが、アイデアはちょっと違います。
 これもわたしの感覚ですが、一切小説を書かずにいると、アイデアは枯渇します。というか、何かが詰まってしまった蛇口みたいに何も出てこなくなってしまう。バシャバシャ出し続けるうちに最初は錆色だったアイデアも澄んできて、いい感じの水(=アイデア)になっていきます。ところが、今度はあまりに垂れ流し過ぎると枯渇してアイデアが枯れてきてしまう。
 こんなイメージを図にしてみたのが以下の写真です。

 つまるところ、技術に関しては(モチベーションが無限にあると仮定した場合は)書けば書くだけ右肩上がりに上がっていきますが、アイデアに関してはかなり複雑な曲線を描く厄介な存在なんじゃないか、ということです。

 ここで大事なのは、いい小説とは何か、ということです。
 もちろん、アイデアの良さで認められる小説もありますし、技術のすばらしさで愛される小説もあります。けれど、世に溢れる素晴らしい小説は、アイデアにも優れ、かつ高水準な技術にも恵まれた小説なのではないかと思いますし、若手中堅職人としてはそこを目指してゆきたいところです(実は若手さんの場合は、むしろアイデアを前面に勝負した方が上手く行くことも多いのですが、その辺りは別の機会があったら)。
 すると、若手中堅職人としては、図の「ココ!」と書いたあたり、つまりはアイデアと技術の交差点あたりを狙い、事業計画を立てていく必要があるわけです。
 つまるところ、技術が上がるからといって書き過ぎず、アイデアを練るための時間を練る、みたいなムーブが必要になるのですねー。

 思うに、「心技体」の「心」がアイデア、「技」が技術に当たるのではないかと思います。

 では「体」は? 当然残ったフィジカルに相当するわけですが、実はこの図にフィジカルを挿入してみると、また違った景色が見えてきます。

 そんなわけで、続きは次回。

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