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『雲州下屋敷の幽霊』(文春文庫)と哀調好み

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 ここのところ、ある編集者さんにこんなことを言われました。

「谷津さん、ここのところ、哀しみを小説の核に据えるようになりましたね」

 ああっ。そうなんです。
 デビューからこの方、わたしは「怒り」を核に据えていました。喜怒哀楽の感情の中で「怒」が一番強く、遠くまで響く感情なのだと察していたのかもしれません。その結果生まれたのが初期の代表作『蔦屋』(学研)であったりします。
 なのですが、実はこれ、わたしが後天的に身につけたものでした。
 『蔦屋』の成功を受け、この方向性で行こう! と決め、ひたすらその方向性を掘っていたのです。いや、これが間違いだったとは思っていなくて、この時期にも『曽呂利』(実業之日本社)、『信長様はもういない』(光文社)などなどの話題になった小説が出ています。
 わたし個人は、元々は哀調を核にした作家でした。

 わたしがまた「哀調」を核に据えるようになったのは、たぶん『おもちゃ絵芳藤』(文藝春秋→文春文庫)辺りから。とはいえ、数年ぶりの再開、かつアマチュア時代の古い核を取り出したわけですから結構な試行錯誤が必要で、わたし自身、かなり悩みに悩んだ……というか、巧く使いこなせなくなっていたのですが、今にして思うと、『雲州下屋敷の幽霊』あたりから、とりあえず形になってきたかなあという感覚が生まれ始めました。
 じゃあ今どうなのかというとわたし個人にはわからないのですが(笑)、とりあえず今は、「哀調」を中心に据えつつやってます。とはいえ、そろそろ、核を二つ、三つ据えてスイッチするみたいなダイナミックな仕事もしなくっちゃなあという気ではおります。

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