見出し画像

『新歴史・時代小説家になろう』第30回「臭い」を巡るあれこれ

【PR】

 小説にもいろいろありますが、五感を駆使して書く、というのは小説のセオリーとしては極めて有効で、それがリアリズムに繋がります。もちろんそれは時代小説や歴史小説でも例外ではないのですが……。今日の話は、我々の五感の一つである嗅覚に関するお話です。

昔は(現代人的な感覚では)臭かった

 わたしたちは現在、無臭の世界に生きているといっても過言ではないと思います。
 えっ? 柔軟剤の臭いとか、香水の香りとか、コーヒーの香りとか、いろいろするぞ? あっはい、確かにそうでしょうが、現代日本のことに都市圏において、わたしたちは脱臭された世界に生きています。もちろん今でも結構臭いところはありますけど、家に帰っても、部屋を汚していない限り基本的には臭くないですよね。これは、下水へといたる箇所に水を溜めるスペースがあって、臭いが上がってこないよう工夫されているからです。もちろん例外はありますが、現代の日本社会は出来る限り悪臭がしないよう工夫されており、悪臭の原因となるようなものは即座に排除される圧力がある社会であるといえそうです。
 でも、過去はそうではありませんでした。
 たとえば江戸時代。江戸時代の裏長屋は現代でいうボットン式便所でした。水洗便所に慣れている方なら頷いて頂けることでしょうが、普段使い慣れていない方にとって、ボットン式は相当臭いですよね。江戸時代は、あの方式のトイレが至る所に存在したのです。臭くないはずはありませんね。
 たとえば、縄文時代。海の近くに住んでいた縄文時代の人々は、家の近くにゴミを捨て、それがさながら塀のようになっていました。そう、貝塚です。2000年以上経っていた現代だからこそなにも感じませんが、おそらくこの貝塚が形成されていた丁度その頃、とんでもない臭いがしたんじゃないかと思います。ほら、今でも、貝を食べた次の日、シンクからめちゃくちゃ魚介の臭いがするじゃないですか。あれを数倍強烈にした臭いがするんじゃないですかね。
 二つだけ例を出すに止めましたが、昔は、かなり濃い臭いに晒されていたのではなかろうかということが見えてきましたね。

今の悪臭は当時の悪臭なのか問題

 実はこれ、かなり重大な問題なんじゃないかと思われます。
 かつて考古学専攻に属していた谷津は、指導教官から貝塚の臭いについてこんな話を伺いました。
「現代人からすると悪臭だったとしても、当時の人からしたらほっとした匂いだったのかもしれないよね」
 当時の人々にとって貝塚から発される腐敗臭は自分たちの安全なテリトリーであることを示す「巣」の匂いであり、悪臭であっても郷愁を誘う、ほっとするような匂いであった可能性を先生は示唆されたのですね。
 また、裏長屋とボットン便所の臭いですが、人々はそこで暮らし、ご飯を食べていたわけで、案外慣れるものだったのではないかということも考えられます。
 2021年現在は悪臭でも、当時はまったく違う文脈が付与されていた可能性があるわけです。

マイナスイメージの「臭い」を小説に付与する意味

 ここからは歴史の話ではなく小説の話になりますが、そもそも、マイナスイメージの言葉を小説に付与することはいいことなのか、効果的なのかを胸に手を当てて考えてみる必要があります。
 プラスにせよマイナスにせよ、「強い言葉」(ここでは好悪の感情を読者に強く想起させる言葉)は作品のバランスを変える難しいパズルのピースである、ということを申し上げておこうと思います。
 美しいものに対し「美しい」と表現してしまった瞬間、その作品世界における美醜感覚は「美しい」と「醜い」という二元論から脱せなくなってしまいます。それの何が問題なの、とお思いの方もいらっしゃるとは思いますが、それは宗旨の違いとしか言いようがないので、問題に感じなかった方はここ以降の話はスルーしてください。
 ともかく。
 「強い言葉」は往々にして作品全体のバランスを破壊してしまいます。
 そして、往々にして、物書きはマイナス側の「強い言葉」を用いることで描写としてしまうことの多い生き物です。わたしもそうです。
 でも、読者目線で考えてみてください。
 マイナスの「強い言葉」で修飾された小説、読みたいですか?
 あ、もちろん、グロを好む方をお客さんに見込んでいる場合は別ですが、一般的な小説において、あまりに「臭い」「キモい」「グロい」「悪い」などのマイナス方面のイメージが先行していると、ある種の「人を選ぶ」小説になってしまいます。
 歴史に詳しい方だと「江戸期の町はとんでもなく臭かったんだよな」ということを知っています。なので、それを描写したくなってしまうのですが、それが悪臭である場合、ぐっと堪えてあえて書かないという分別が大事になる場面もあるのです。
 ……たぶんですが、戦国時代の戦場って、とんでもなく臭かったと思うんですよ。馬も人も糞をしますし、腹を負傷すると腸に詰まっていた便が空気に触れるわけで、そりゃ当然臭いでしょう。それに、男しかいない空間で汗をかいていますから、きっと周囲は夏の練習を終えた剣道部部室もかくやの臭いなんじゃないでしょうか。でも、それをリアルに描写したところで、読者は喜ぶのか。読者にとってそれを描写する意味があるのか。その意味を考えて頂くとよろしいんじゃないかと思います。
 小説においてリアルな描写は大事です。けれど、「なぜその描写をするのか」という視座が抜けてしまうと、大変読みづらい小説になってしまいますよ、というお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?