それさく文庫書影

「曽呂利」「某には策があり申す」ライナーノーツ⑯島左近

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 はい、今回は「某には策があり申す」の主役、島左近です。

 島左近
 曽(×)  某(〇)  孫(×)

 本当は「嶋」が本来の表記のようですが、基本的には見慣れた表記に従うというわたしのローカルルールに従い「島」としています(そういう意味では島津の「島」も本来は「嶋」だそうですが)。
 実は本作はわたしの中から生まれた企画ではなく、本書を発行した角川春樹事務所の社長、角川春樹さんから書けと指令を受けた経緯がありまして、一から勉強して島左近という人物を理解しようと努めました。もちろん小説、漫画やゲームなどの創作物で描かれてきた島左近には触れてきましたが、思えば史実上はどんな人なのだろう? 本書を書くまで調べたことがなかったのです。
 というわけで勉強させていただいたのですが、その結果見えてくるのは、史実上はようわからん人だったということでした。そもそも彼は石田三成の家臣、さらには関ケ原での活躍で名前が知られているだけですし、彼の事績の多くは後世編まれた軍記ものの影響が無視できないようでした。その過程で、「義の人」という島左近の人物像も後世付託されたものだということを知ったのです。
 というわけで、「義の人」のイメージをあえて捨て、「戦狂い」という新釈を加えたのが、わたしの書いた島左近でした。
 いや、この新釈、意外にうまくハマったんじゃないでしょうか。
 「義の人(すぎてやばい人になっている)」石田三成の相棒として見たとき、「戦にしか興味がない」という島左近はまさに破れ鍋に綴じ蓋。三成の狂気と左近の稚気が出会ってしまったとき、全国が鳴動する大きな戦が約束されていたのかもしれませんね。
 とはいえ、この島左近は普通の人から見ればたまったものではありません。市井を生きる人々からすれば左近は戦をほうぼうに振りまく災厄でしかなく。
 実をいうと、戦国ものを書くときに、わたしは常に鬱屈を感じています。武将・大名は、結局のところ死を振りまく災厄という側面を有しています。そんな人々をただの英雄として描き出してしまうのに、ちょっとした違和感があるのですね。もちろんこの感覚が悪い方向に働くこともままあるのですが、本書においては割とうまく噛み合ったのではないかと思います。
 ところで、本書において島左近は生存ルートを辿りますが、実は島左近は関ヶ原を落ち延びたという生存説が残されている人物でもあります。今回わたしが生存ルートを採用したのは、「戦国の災厄は関ヶ原では終わらない」ということを暗示したかったからであります。

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