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福井のポータルサイト「ふーぽ」さんで拙作『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)をご紹介いたただきました&『おもちゃ絵芳藤』(文春文庫)に出てくる絵師・小林清親について

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 まずはご報告です。

 表題にもあります通り、福井のポータルサイト『ふーぽ』さんで拙作『絵ことば又兵衛』をご紹介いただきました。

 本当にありがたい限りです……!
 本作、福井のご当地小説の側面がありまして、できれば地元の方に読んでいただきたいなあと願っておりました。記事にもありますとおり、わたしは福井県人のクオーターで、なんとなく遠い故郷のように感じている地域です。もしコロナなんてなかったら、恐らく福井にまた旅に行っていたはずなのに……。
 本作のクライマックスがまさに福井(北之庄)時代です。たぶん、又兵衛を形作ったのは越前なのではないでしょうか。福井には又兵衛筆の作品も多い由。よろしければ、本作を手に取っていただけたなら幸いです。

 さて、本日は『おもちゃ絵芳藤』の話もしましょう。
 本日は、河鍋暁斎の弟子として登場した、小林清親について。

史実の清親

 この方を語るにおいて外せないのは、「光線画」でしょう。それまでの浮世絵とは違う、柔らかな色彩とぼやけた輪郭を有した新機軸の絵です。なんと、明治九年頃に登場しています。これの旗振り役となったのが、小林清親なのです。
 元々幕臣でしたが戊辰戦争ののち、一家が静岡に移り、身を立てるために東京へ舞い戻ります。その後、何らかの方法で西洋画を学び、河鍋暁斎との知己を得たりして腕を磨き、やがて「光線画」を興します。
 しかし、やがて清親は「光線画」にとどまらぬ活躍をすることになります。その後はむしろ従来の浮世絵に立ち返った、ある意味で伝統的な色彩の絵に戻るものの、日清日露戦争時には光線画のような戦争画を多くものすることとなります。
 最後の浮世絵師。清親を指してそう述べる人もいます。しかし、最初の西洋画家の一人なのではないかという意見もある、未だはっきりとした位置づけの為されていない人物であるともいえましょう。

本作の清親

 本作においては河鍋暁斎の弟子としましたが、実際のところは師弟関係はなく、あったとしても短い間の師事であったろうと考えられているそうです。わたしとしても、そんなに長く暁斎のもとにいたとは考えていませんが、一応弟子であった時期があるのだろうと考え、あのような登場のさせ方となりました。
 また、一説には、撃剣興業(剣の試合の見世物)にも参加したという逸話もあることから、腕っ節の強い、いかにも江戸っ子な人物として造形しました。今に残る写真を見ても、いかにもレスラー体型で強そうなんですよね。
 でも、清親についてすごくいいなあと思ったのが、「最初は斬新な画風で世に出たのに、なぜか伝統的な画法に立ち返る時期がある」というところなんですね。
 なんとなく、この清親のムーブに、共感できるものがあったのです。
 何を隠そうわたしは(自分で言うのは何ですが)斬新な作家としてデビューしました。今までの歴史小説の文脈にはあまりなかったライトノベル的な人物造形なんかを盛り込んだんですね。なのですが、今のわたしはむしろこれまでの歴史小説の文脈を学び、自分の血肉にしようとしています。この辺りの「心変わり」というか、価値観の変化みたいなものはずっと心のどこかにあって、それが清親という実在の人物を核にして立ち上がってきたようなイメージです。
 清親はまだ書き足りず、いつかまた書いてみたいなあという野心を秘めています。いつか書けると良いなあ。

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