廉太郎ノオト書影おびあり

9/6頃発売『廉太郎ノオト』(中央公論新社)の書影が公開されました他

【PR】

 PR情報が多すぎたので整理。ここでのやり方はもう少し模索しなければなるまい。(というか、せっかくnoteに新刊情報ページが作ってあるのだからそこを活用すればいいんじゃね? と今更気づいたなど)

 はい、本日は『廉太郎ノオト』に関する情報です。
 本日、書影が発表されました。

 装画は君野可代子さま、デザインは岡本歌織さまです。
 今回、内容が朝ドラっぽい仕上がりになりましたし、歴史小説の読み手はもちろん、その外の読者さんにも本を届けたい(できれば一般文芸の本をお読みの方に届けたい)という思いがあり、柔らかな空気感や未完のまま逝った廉太郎の儚さを描いてほしいというお願いに、著者もびっくりのすばらしい装画・デザインで応えていただきました。まことにありがとうございます。
 (それはそうと、この廉太郎さんの顔、わたしに似てないか)

 そして、書籍情報も作り直しました。ぜひぜひ。

 そして、公式サイトもUPされております。繰り返しになりますが、公式サイトは本当に便利なんですよ。紹介する際に角が立たないので……。

 実は本書、今のわたしの遺書みたいな面があります。
 というと、希死念慮でもあるんかいと心配されそうですがそういうことではなく。
 これは折に触れて話していることなので耳にしたことがある人もいらっしゃるかもしれませんが、デビュー作を書く際、編集者さんに
「今のあなたを書いてください」
 とオーダーされました。
 基本的にわたしはこの六年と半年余り、『今の自分を書く』ことにしています。たとえ六十歳の老人(当時は六十歳は老人扱いです)であろうが、14歳の若造であろうが、かならずどこかに自分の魂を入れるようにしています。
 本書は、そういう意味ではかなり自分の魂をたくさん込めてしまった感があります。何せ、『もし今の自分が死んだら』という仮定が本書の背骨になっているんです。
 わたしは『歴史上の人物+十歳説』を主張しております。昔の人は基本的に短命なので早熟に育てられており、社会的役割も現代人より早く高まってゆくという説で、あながち外れてないと思っています。
 本作主人公の瀧廉太郎は数え24歳で死ぬのですが、+十歳すると34歳。満年齢に直せば概ね今のわたしと同い年です。
 いや、今、わたしは人生が楽しくってしょうがないんですよ。ようやく小説というとんでもなく厄介な世界の入り口が見えてきて、何とかその隙間からその奥行きの遼遠さに驚愕しているところなのですが、今この段階で瀧廉太郎さんが死んだのだと思うと、やりきれないものがあります。
 そうした思いを汲み上げることができるのは、今のわたしだけだろう――。そんな思い込みのもとに誕生したのが『廉太郎ノオト』になります。

 たぶん本書は、小説という営みに対するわたしなりのひねくれたラブレターなんだと思います。そして、道は違えど、目に見えぬ何かに向かって手を伸ばした、明治期の先達に対する感謝状であるのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?