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『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)に登場する主人公の父・荒木村重について

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 さて、久々の『絵ことば又兵衛』内容紹介です。
 今日は、主人公・岩佐又兵衛の父とされる、荒木村重についてです。

史実の荒木村重

 この方は有名な方なので、あまり説明は必要ないかも知れません。
 元々は浪々の身だったようですが、色々あって織田信長に仕官したことが、彼の人生を良くも悪くも変えてしまいます。仕える際、信長が刀を抜いて饅頭を刃先に突き立てて「これを食ってみろ」と村重の鼻先に掲げ、村重はそれを食べたことで信長のお気に入りになったという逸話がありますが、事実かどうかはさておいても、村重の豪胆さ、また、後の運命を匂わせる、なんとも香ばしいお話なんじゃないかと思います。
 それから、信長のもとで必死に働くのですが、あるとき、突然信長に謀反を起こし、有岡城に籠城してしまいます。これは信長にとっても出し抜けのことだったようなのですが、いずれにしても最後は総攻撃を受けてしまいます。ところが彼は一人脱出、毛利を頼って落ち延びます。
 それから、彼は武将としてではなく、茶人として表に現われます。茶人時代にも色々な逸話がありますが、最終的には茶人として堺でその生涯を終えるのです。
 岩佐又兵衛は有岡城時代に生ませた子、あるいは孫であるとされています。

本作における荒木村重

 まず、本作を作る際に考えたのが、「本当に岩佐又兵衛は荒木村重の縁者なのか」という問題でした。
 いえ、確かに又兵衛の骨壺には「荒木」と書いてあるようですし、一説には又兵衛を江戸に誘ったのは荒木家の縁者であったよう。そして岩佐又兵衛の年譜を追ってみると、村重の謀反に協力した本願寺を頼っていたようですし、当時堺に根を張っていた土佐派の影響も見て取れます。村重の友人であった織田信雄(信雄は村重から茶釜を贈られている関係です)のもとに身を寄せていたらしいということも考え合わせると、村重と何らかの関係にあると考えた方がすっきりいくのですが……。
 実は、小説ならば、別解もありえました。
 すなわち、村重の子供であると僭称し、それで絵の仕事を請けていた詐欺師である、と。
 とはいえ、これは誰も喜ばないケレンなので(編集者さんにも「これを採用しなくて本当によかったと思います」と真顔で言われました)没にし、現行の通り、又兵衛の父ということにしました。
 だとすると、問題になってくるのは、又兵衛が村重のことをどう思っていたか、なんですよね。
 既に村重には跡取り息子がいたので、もし謀反を起こさなかったとしても彼がそのまま大名になったとは思えません。けれど、槍を担いで戦には出ていたかも知れません。その運命をねじ曲げ、彼を絵筆の道に進ませたのは他ならぬ村重なのです。
 おそらく、そんな単純な感情ではあるまいなあ、そう思い、色々と思いを巡らして作り上げたのが村重という男でした。
 そして、村重と又兵衛の親子関係が、他の登場人物の親子関係とリンクしたり、変奏したりすることで、本作は成立しています。
 そういう意味においても、村重と又兵衛を親子にして、本当によかったと思っています。

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