桔梗の旗書影

『桔梗の旗』を作った際に考えたこと②

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 『桔梗の旗』の企画を進める際、わたしが考えたのが「御妻木殿を出したい」でした。

 御妻木殿。
 戦国ファンの間では有名ですし、既にわたしもnoteで書いているのであまり繰り返しませんが、光秀の実妹、あるいは義理の妹とされる人物で、信長の側室の一人として時には政治的な動きも見せているとされる人物です。この方は本能寺の変の一年前に死ぬのですが、この方の死が信長―光秀間の不和のきっかけになったとも。そんなわけで、最近の本能寺周りにおいては熱視線が注がれている人物でした。

 わたしは作家、つまりはお客様に喜んでいただく品を作る製造業者なので、市場のトレンドを取り入れていかなくてはなりません。というわけで、わたしなりに勉強をし、拙作に包摂していったわけです。
 そんな中で、わたしはあることに気づくのです。

「もしかして、主人公光慶から見ると、御妻木殿って叔母さんに当たる人なんじゃないの?」

 光秀の実妹、あるいは義妹とされているのですから、どちらの説を取っても叔母さんです。
 そう考えていくうちに、ひらめくものがあったのです。
 もしかして、光秀周りの一族を描くのってかなり新しいんではないか、と。

 わたしの調べた範囲では、明智光秀さんの周りには親族は多くありません。恐らくそれは前半生に不明な点が多い(よく言われるのが諸般の事情で流浪の身となり、室町幕府や朝倉氏に仕えた後、織田家に臣従することになる、というコースですが、この辺りについても不明点が多いのです)こととも無縁ではありますまい。要は、古文書などに痕跡を残すことができないほど、光秀前半生当時の明智家は離散状態にあり、光秀が出世してもなおその状態は解消しなかったということなのだ、とわたしは考えたのです。
 歴史にもしもは禁物ですが、もしも、明智家がずっと続いていたなら――。きっと、妻の実家である妻木氏や有力家臣を取り立て、一族を形成したのだろうなあ、そんな気がひしひしとします。結局、あの頃の御妻木殿や、妻木氏の人々は、明智家を盛り立てることで自らの氏を栄えさせようとしていたのでは、というところまで想像が膨らみ、明智家、妻木家のために生きる御妻木殿像が完成したのです。

 もちろんこれは作家的想像と美称されるもの、露悪的に申し上げるなら思い付きです。
 けれども小説は案外、そうした思い付きから広がっていくものなのです。

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