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『おもちゃ絵芳藤』(文春文庫)に登場するジョサイア・コンドルについて

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 今日は『おもちゃ絵芳藤』(文春文庫)に登場する人物の一人にして異彩を放つ人物、ジョサイア・コンドルについて話してゆきます。

史実のジョサイア・コンドル

 日本史にお詳しい方だと、コンドルといえば「ああ、確か明治時代の御雇外国人だよね?」と思い出されることでしょうし、もっと詳しい方だと「確か建築家だったよね」と思い出されるはずです。おっしゃるとおり。彼は明治十年に来日し、それ以降、工部大学校の教師として教鞭を執りつつ、東京近辺の西洋建築物を設計しまくります。その中には、今にも残るニコライ堂や、一時代を作った鹿鳴館(こちらは失われています)など、日本近代史の舞台となった建築に心血を注いでいます。
 さて、そんな西洋建築家が、なぜ浮世絵師の話に?
 実はジョサイア・コンドル、河鍋暁斎に弟子入りしています。
 もともとコンドルは、他の御雇外国人とは違って日本文化に対しリスペクトめいた思いを持っていたようで、お高くとまった他の御雇外国人とは違って学生に親切であったと伝わっています。そんな彼の日本びいきが高まった結果、なんとコンドル、明治十四年に河鍋暁斎門下になり、絵を学ぶようになります。余談ですが、暁斎のレッスンは毎週土曜日だったとのことなので、『おもちゃ絵芳藤』でコンドルが出てきたときには土曜日だと思っていただけるとほぼ当たるんじゃないかと思います。
 その後、コンドルは暁斎から画号(暁英・英暁とも)を得、彼に関する著作などを通じて母国の英国に日本文化を伝える架け橋となります。現代、日本よりもむしろ諸外国で暁斎の名が知られるに至った一因に、コンドルという西洋に開かれた弟子が暁斎の元にいたことがあります。

本作でのコンドル

 本作におけるコンドルは、やや敵役といえましょう。
 主人公である芳藤は時代の変化に苦痛を覚えるくちです。そんな芳藤にとって、新しい時代を体現するかのように日本にやってきて、旧来伝統のものであった日本画を海外に紹介していくコンドルと対立点がないわけはないのです。とはいえ、オリジナル版を書いた際にも「決して対立関係では描くまい」と考えていました。
 史実のコンドルは日本びいきの人でした。彼の日本文化への愛は本物でしたし、彼が日本文化を世界に紹介したことが、回り回って日本文化の存続に繋がった面もあります。なのだけど、それは果たして光だけの事象だったのでしょうか。もしかすると、とんでもない闇があったのではないでしょうか。そしてそれは悪意によってもたらされるものではなく、善意によってもたらされるものだとしたら……?
 実は、コンドルにわたしが背負わせたものは、「グローバリズム」という、現代に持つ通ずる概念なのです。
 グローバリズムは善でも悪でもありません。ただ、わたしたちのことを規定し、時に苦しめるものです。その複雑なるグローバリズムの表と裏を書くに当たり、コンドルはまさにお誂え向きの人物だったと言えます。

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