信長様はもういない書影

『信長様はもういない』(光文社)とおかし味

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 現在発売しております『信長様はもういない』(光文社文庫)、小説内におかしみを加えるという工夫をしているという点において、わたしにとってもちょっと懐かしい小説となっています。
 実を言いますと、2016年から17年あたりの単行本作品において、ユーモア(というかギャグ風味)を小説の中に採用するということをしていました。これは、2016年以前、わたしが一時期文庫オリジナルを書いていた頃の雰囲気を引きずったものなのですが、ぶっちゃけた話が、最近の単行本市場ではあまり求められている個性ではないことに気づいて自重している次第です。

 文庫化の際、このおかし味を取り去るかどうかがわたしの中で一番重大な検討課題でした。
 2019年現在のわたしの作風は少しずつ真面目寄りに変わってきていますし、それに合わせて真面目寄りに書き換えることもできたのです。ところが、結局は踏み止まっておかし味を遺した次第です。

 なぜかというと、この本からおかし味を抜いてしまうと、全くの別物になってしまうからです。
 本書は信長のいない天地を生きる池田恒興の二年間にフォーカスした小説です。もちろん、シリアス一辺倒で「もういない」寂寥を書くというのも一つの手として考えられますが、それだと、本書を書いた当時のわたしの意図とはちょっとズレたものになってしまいます。
 わたしが書きたかったものは、「信長がいた」という喜びと、「信長がいない」という悲しみと、その二つの感情の間で右往左往する人々の悲喜こもごもであったからです。
 人間、どうしたわけか一生懸命になればなるほど滑稽になるもの。その滑稽も含めて本にしたかったというのが単行本執筆当時のわたしの思いなのです。
 そんなわけで、だいぶ文章の書き直しはしたのですが、おかし味は損なわないように作りました。
 本書のおかし味が、読者の皆様に届きますように。

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