それさく文庫書影

「曽呂利」「某には策があり申す」ライナーノーツ②石田三成

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 というわけで、ライナーノーツ二回目は石田三成です。

 石田三成
曽(〇) 某(〇) 孫(×)

 いや、豊臣政権の話を書くにおいて、石田三成は非常に便利なんですよね。政権に深く参画していましたし、のちの関ヶ原合戦での暗躍もあったおかげで著名ですしね。この実感は何もわたしだけではなく、軍記ものの著者さんや古の講談師、はたまた明治期以降の歴史小説家の間でもそうだったようで、かくして様々なイメージの石田三成像が誕生しています。
 ここのところの石田三成は「義の人」のイメージが先行していますね。

 わたしがこの人物を書くにあたって決めたのは、ただ「義の人」とだけ描くのはやめようということでした。もちろん豊臣政権に対する忠誠心はあるものの、それだけを背骨にしない、ということです。
 最初にわたしが三成を書いたのは単行本版「曽呂利」だったのですが、そちらでは曽呂利新左衛門にしてやられてしまう猪口才の人というイメージでした。これは曽呂利新左衛門が切り札めいた動きをするからで(基本的に、誰が相対しても曽呂利に勝てる者はいない)したが、単行本版「某には策があり申す 島左近の野望」においては主人公の主君に当たります。そのため、島左近ですら心酔するような属性を与えております。
 そして文庫版「曽呂利」ではその印象を引き継ぎ、ある意味で腹の底が見えない登場人物としてリファインしました。結局石田三成は曽呂利新左衛門をどうとらえていたのか? 「曽呂利」「某には策があり申す」を見比べていただけると浮かび上がってくるのではないかと思いますよ。
 そういう意味では、長い時間をかけて醸造した登場人物と言えるかもしれません。

 わたしの石田三成のイメージはアンデルセン神父(@ヘルシング)です。エイメン!

 ちなみに、「曽呂利」の中に出てくる石田三成の陣立てを皮肉る狂歌、あれは実在します。
 策伝の作とされる「醒酔笑」に記載があります。劇中では曽呂利が策伝に向かって口にしていますが、わたしの設定では、のちに策伝が「醒酔笑」を編んだ際、曽呂利の言を思い出したということにしているわけです。
 つまるところ、ほぼ同時代の人からも戦下手だと思われていたわけで、石田三成さん辛い……となっている次第。

 そんなこんなもあり、「某には策があり申す」では戦の指揮が得意ではないがゆえ、そのすべてを島左近に委ねる三成像を描いております。

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