それさく文庫書影

「曽呂利」「某には策があり申す」ライナーノーツ⑮曽呂利新左衛門

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 今回はついに主役の紹介です。曽呂利新左衛門です。

 曽呂利新左衛門
  曽(〇)  某(〇)  孫(×)

 「曽呂利」の主役にして怪人です。
 この人物のモデルは……あっはい、わたしです。
 こんなことを書くと友達がいなくなっちゃいそうで嫌なのですが、わたしにとって小説を書くという行為は(どんなに必死こいてエンタメに取り組んだとしても)社会に対するカウンターであるという面があります。実際問題、わたしはこの社会の中にどこにも居場所がないという思いが根底にあり、ひねた視点から世の中を見ている節があります。そういう意味では、本作の曽呂利新左衛門はわたしの思いを生々しいかたちで表出させた存在であるとも言えます。曽呂利とわたしの違いはといえば、思いの発露の際に小説という迂遠な方法を取っているか、それとも実力行使(テロリズム)に出るかという程度のものでしかありません。実際的な行動力が本当になくてよかったぜ、と思う今日この頃です!

 実は単行本版の「曽呂利」とも微妙に設定を変えています。単行本版では師匠が死んでにっちもさっちもいかなくなった曽呂利が細川幽斎に頼み込んで復讐に手を染める……という筋を描いていました。文庫版では妻子の復讐、そして沈みゆく堺を救うために行動するという風に変えました。この辺りのことは、細川幽斎の立ち位置の変化のゆえであったりします。
 また、単行本版では武芸の心得もあるような書きっぷりでしたが、文庫版ではあくまで口舌、文化面のステータスが高いだけにし、武芸の能力は一切ないという風にステータス設定を振り直しました。単行本版の「なんでも超人」設定は当時「小説家になろう」で流行していた「俺TSUEEEEE」を歴史小説に取り入れてみた実験だったのですが、よくよく考えたら一流の忍び五人+一人を相手に素手ゴロで無双できちゃう人が口舌だけで豊臣に取り入ろうとするのは不自然ですし、そもそも「口舌の徒」という初期イメージを毀損すること甚だしいわけで……。文庫版においては「邪悪な文化人」という設定を強化した次第です。

 これは後日お話ししようと思っているのですが、「曽呂利」はわたしにとってエポックな小説で、本作で実験したことや描き出したものがそれ以降のわたしの小説を規定していったとすらいえます。
 そういう意味で、曽呂利新左衛門という登場人物は、わたしにとっては非常に重要な位置を占めているといっても過言ではありません。

 ありがとう。曽呂利新左衛門さん。

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