『おもちゃ絵芳藤』(文春文庫)の解説が読めます&師匠・歌川国芳について
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今日は『おもちゃ絵芳藤』関連の話題を二本立て。ということで、行ってみよー。
『おもちゃ絵芳藤』解説が読めます
ミステリー作家の岡崎琢磨さんからいただいた『おもちゃ絵芳藤』の解説がWEB上で読めます。
岡崎さん、小説はいわずもがなで上手い方ですが、解説もすげえなあと思っていたのですが、多くの方に読んでいただける形態で世に出たことは大変喜ばしいことです。
岡崎さんに褒められたりたしなめられたりと、著者としてはおもはゆくもあるのですが、それもまたエンターテイメントの一環。岡崎さん、本当に素晴らしい解説をありがとうございます! みんなもこの解説、読んでくださいね! ……そしてできれば拙作も手に取っていただけたら嬉しいですぜ。
『おもちゃ絵芳藤』における、歌川国芳
さて、本日はもう一本。
『おもちゃ絵芳藤』におけるキーパーソン、歌川国芳の紹介です。
とはいっても、国芳の名前はご存じの方も多いでしょうし、わたしより詳しい方もいらっしゃるでしょうから、史実ベースのお話はさわり程度に。
武者絵や役者絵を得意にした絵師で、火事場半纏や彫り物などの図案にも多く使われた人です。あまり浮世絵に興味がない方でも、なんとなく武者をモチーフにした浮世絵をご覧になる機会があろうとは思いますが、そうしたものの中には結構国芳の絵が含まれています。
あー、もしイメージが湧かない人は、これを。
詳しくはこの記事をご覧いただきたいのですが、この記事の中にある大骸骨の浮世絵が、国芳の作品です。
『おもちゃ絵芳藤』において、国芳は芳藤の思い出の中に息づいている存在として描いています。
国芳という人はとにかくその作風が多岐にわたっている上にかなりの勉強家であったらしく、さまざまな作例が世に伝わっています。弟子たちは国芳の仕事の一部分を引き継いで、それを自分なりに再解釈していって自分のものにしていった感があります。そういう意味では、芳藤は国芳の戯画を先鋭化して自分の画風にしていった感があります。
大師匠・国芳。恐らく、弟子たちにとっては恐ろしい人だったと思います。
もしかして、死してなお、弟子たちからしたら恐ろしい人だったんじゃないかなあと思えてならないんですよ。
出藍の誉れといいますけど、出藍できぬままに終わる人のほうが遙かに多いからこそ誉れとなるのです。しかも国芳の場合は天保という時代の雰囲気を作ってしまった大絵師です。この師匠はきっと、一生弟子たちの肩の重荷となったのだろうなあ、しんどそうだなあ、という気づきがあり、そこから本作における国芳の位置が定まりました。
本作における国芳の弟子たちは、皆、国芳の名前に押し潰されそうになりながら、絵筆を執っていた者たちなのです。
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