信長様はもういない書影

無理して本を読まなくていいのよ

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 本を書いて大量に複製して売る商売をしている以上、「大量生産・大量販売」が究極的な正解になってしまいます。もちろん、わたしもそうした立場で小説を書いていることは重々承知なので、「大量生産・大量販売」が商いの基本であるというのは重々承知なのですが。

 「大量生産・大量販売」の行く末のことを考えると、暗澹たる思いになったりもします。
 「大量生産・大量販売」は売り手側の論理です。その結果何が起こっているかと言うと、「大量生産・大量販売」の論理に忠実な読み手を称揚しようという動きです。
 例えば、「年間○○冊読む」とか、多読のススメとか、己の箔付けのために本を読むみたいな消費行動ばかりが称揚されちまうんじゃないかという不安なのです。
 えっ、お前が言うな? おっしゃる通り。わたしは年間千冊以上本を読んでいる人間でございます。ただこれは商売上の事情(良いアウトプットをするためにはインプットをしなくてはならない小説家ゆえの事情)であって、読書家として見たとき、たいして褒められたものではないのではないというのがわたしの立場です。

 わたしがそう思うのは、サイン会などの際に、こう声を掛けてくださる方がいらっしゃるからなんです。

「すみません、本を読むのが遅くて、谷津さんの本、最新刊まで追えてないんです……」

 いやいやいやいや。山ほど本が販売されている現代、わたしの本を一冊でも読んでくださっている、しかもお買い上げくださっている方が謝る理由なんてどこにもありません!
 そうした読者の方を拝見するにつけ、業界の構造として、読者の皆さんに変なプレッシャーをかけてしまっているんじゃないか、そんな気がしてならぬのです。
 もちろん、ヘビーユーザーさんにある種のプレッシャーとある種の射幸心めいたインセンティブを演出して本を売るのは決して間違ってはいないのですが、それがある種の「空気」となってしまうと、きっと新規のお客さんの参入が鈍るんじゃないかなあと思わぬこともないのです。そして、やがてその空気は「大量生産・大量販売」で成り立っている出版という業態を食い破ってしまう気がしてなりません。

 だからどうしたらいいのかわたしにはわかりませんが、言えることがあるとするなら。

「無理して本を読まなくていい」

「自分のペースで好きな本を読んでいただければそれでいい」

 の二つに集約されるのかもしれません。

 といいつつ、

「拙作を買ってね!」

 と常日頃からわたしも申し上げているわけで、まあひどく矛盾したエントリであることはわたしが一番承知しておる次第です。

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