見出し画像

異国の地で、母との関係性を考えた日のこと

大学生のとき、内閣府主催の国際交流プログラムに参加して、初めてアメリカの地を踏んだ。ニューヨークやマサチューセッツの様々な大学や国際機関を視察した約2週間、毎日が刺激的で本当に楽しかった。

そんななか、ニューヨークで活躍する日本人の女性弁護士さんにお話しを伺う機会があった。母校の卒業生なので、女性リーダーのロールモデルにしてほしいという大学側の意図があったのだろう。

なんでもその方は、自営業の仕事を切り盛りする母の背中を見て育ち、自分も社会で活躍したいと考えるようになったと。そして日本の大学を卒業したあとに渡米してロースクールに通い、アメリカで弁護士になったのだという。女性が四年制大学に行くことも珍しかった時代に応援してくれた母には本当に感謝しています、と目をキラキラさせて語るその弁護士さんは、とても輝いて見えた。

驚いたのは、その方の年齢が、私の母にすごく近かったということ。あまりにも2人の生き方が違ったから。

***

私の母は、とてもまじめな、常識的な、完璧主義な人だ。
小中高とまじめに勉強して良い成績をとり、当時一般的だった女子短大に進学して秘書の資格をとり、大企業に一般職で就職して、3年ほど勤めて寿退社。おそらく、当時の女性の王道コース。(※それが良いとか悪いとかではなく。)

そんな母と娘の私は、かみ合わないことが多かった。

私は昔から、得意なことと苦手なことの差が大きくて、国語とか歴史はできたけど数字が絡むものはまるっきりだめ。本を読むことが大好きで、異国の物語に没頭したり差別や紛争などの社会問題に心を痛めたりしていたけど、身の回りの片付けや整理整頓はまったくできなかった。たぶん、母の望む「常識」から大きくはみ出していたんだと思う。

母は私に、「なんでできないの?わざとやってるんでしょう」と言った。「だらしない」「頭おかしい」「非常識」とも。

高校時代、家で演劇の脚本を書いている私を母は怒った。PCの電源をブチ切りされ、データがとんだ。

ーそんなばかみたいなことしてないで、勉強しなさい。いい成績をとって、いい大学に入っていい企業に入っていい収入の人と結婚しないと、格差の下に行っちゃうんだから。

私はものすごく反抗して、高校生のころの家のなかはかなりの割合で戦争が勃発していた。あるとき大げんかして、ただいま・おかえりを言わなくなったら、そのままずっと言わない関係性になってしまった。母は弟が帰ってくると「おかえり!」と玄関まで迎えに出るのに、私が帰ってきても振り向きもしない。

平気なフリをしていたけど、実はとっても寂しかった。愛されていると思えなくて、ふっと、なんで生まれてきたのかなと思う夜もあったくらい。

***

でも、女性弁護士さんの話を聞いていて思った。

もしも私の母に、その方と同じ環境や選択肢があったら。女性も大学に行って外国で活躍してもいい、そんな価値観のなかで育っていたら、母はもっと、自由になっていたのかもしれない。母が自由に広い世界を生きていたら、娘である私に対しても、自由になれることが多かったのかもしれない。

人それぞれに異なる「常識」があるのだと知る機会があれば、娘をひとつだけの常識で縛ることは減っていたのかもしれない。

そこまで考えたら、驚いたことに私は泣いていた。それも、うるっというレベルではなく、ボロボロと。

いっしょにいた仲間たちは世界で活躍する母校の卒業生の話に胸をはずませているというのに、そのなかで一人涙が止まらなくなっている私。恥ずかしかったし、困惑した。鼻をすすって真っ赤な目のまま集合写真に写って、移動のバスに乗り込んだ。

きっと母は、母の生きてきた世界にある「しあわせ」を我が子にも願い、ただただしあわせになってほしくて、厳しく接してきたんだ。あれが母なりの、愛し方だったんだ。母と弁護士さん、何が2人をわけたかと言ったら、環境だ。取り囲まれてきた価値観や、出会ってきた人たちだ。

正直私は、母を恨むことに疲れ切っていた。

自分は母から生まれてきたから、母を否定することは自分自身の存在を否定することにもなる。

母に感謝していることや大事にしてもらった思い出もたくさんあるから、そんな母を悪く言う自分自身がすごく卑しい心の持ち主に思えることもある。それに。

なんだかんだ自分の親だから、好きなのだ。
どれだけ気があわなくてもイライラさせてしまっても、苦手であっても、好き。それが、親子の難しさである。

だから、母との関係性の苦しさの原因を、母だけでも自分だけでもなく環境や社会のなかにも見つけたあの日、私はようやく少し、前を向けた気がする。

***

母とは、まだ腹を割って話せない。
今だに許せないことがいくつもあって、真正面からその気持ちをぶつけることも話し合うことも、まだできない。

ーあのときなんで、あんなことを言ったの?傷ついたんだよ。苦しんだんだよ。

そんなふうに母と話せるのは、いつになるだろうか。

発信する仕事をしているくせに、自分の一番身近な人に伝えられないという矛盾を抱えているんだけど、だからこそ書いているのかもしれないな。社会のためでも誰かのためでもなく、自分自身のために。

#エッセイ #日記 #親子 #家族

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?