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本の棚 #169 『敬天愛人』
つい最近初めて耳にしたことば。
『敬天愛人』
天(道理)を敬い、守り
仁の心をもって人を愛するという精神。
言うは易く行うは難し。
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うつろいやすく不確かなものも人の心なら、ひとたび互いが信じ合い通じ合えば、限りなく強固で信頼に足るもの、それも人の心なのである。
人の心の不確実性はネガティブなもの。
そんなふうに捉えるとそこで終わる。
じゃあ機械にやってもらう。
しかし機械を動かすのもまた人だ。
人の心を排除しようもすればするほどに
人の心に翻弄される。
では、人の心がポジティブな作用をもたらすとき
信頼、信用が築かれたときには
すさまじいパワーを発揮するのもまた人である。
心を震わせて、心を燃やしてやり遂げる。
そう決めた心は機械よりも粘り強く
天才的なひらめきを生み出し
多くの人の心を動かす。
人の心というものとどう付き合うか。
これも経営のおもしろさなのか。
人生・仕事の結果=「考え方」×「熱意」×「能力」
能力は先天的なもの。
それは知能、運動神経、健康などだ。
これらは0~100点まである。
熱意とは簡単に言う努力。
これも0~100点まである。
考え方は生きる姿勢、人としての正しさだ。
これはプラスからマイナスまである。
能力90×熱意30×考え方50=135000
能力60×熱意90×考え方50=270000
持って生まれた能力がそこそこでも
熱意をもって努力を続けることで
考え方のレベルが未熟であっても
倍の成果を残すことができる。
能力が高く、いわゆる才能がある人ほど
熱意や考え方の部分をおろそかにしてしまう
そんな傾向にあるのではないか。
「動機善なりや、私心なかりしか」
何か新しいことに取り組むときに自問する。
「その動機は世の中にとって善いことなのか?」
「自分の私利私欲のため、目立ちたいからといった邪念はないか?」
そこに一点の曇りもないことだけに
真摯に取り組んできた稲盛さん。
西郷さんといい、稲盛さんといい、
鹿児島にはそんな風土が
脈々と受け継がれているように感じる。
現世とは、心や魂を純化させるための修行の場である。
もはや僧侶。
現世の外から現世の営みをながめてみる。
するとすべての人が生を受けてから
修行が始まっていると言える。
自分勝手な心、貪欲な心、妬みや恨み…
そんなものを経験させらせる修行。
その経験を通して
邪念が削り取られたり、洗われたりしていく。
おじいちゃんになったら
とんでもなく純な心になっていたいものだ。
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