#エッセイ『相手を見て・・』

 僕はサラリーマンとして毎日電車で通勤をしています。そんな生活をしている中で、この数年というか十数年程ですが、電車の中で客同士のトラブルをチョイチョイ見かけます。そのトラブルの大体が男性同士で、見ていてハラハラしてしまいます。本当に自分の目の前で喧嘩が始まれば、その状況にもよりますが『まぁまぁ』と言って仲裁するかもしれないし、恐れをなして見なかったふりをするかもしれません(こんなことを書いてみても多分仲裁は出来ないでしょう。というかしないと思います。)。ですが多くの場合そのトラブルは自分から数メートル離れた所で勃発するケースが多いのです。他人同士の喧嘩とは不思議なもんで、時と場合によっては見ている方もカーっと熱くなる場合があります。まぁ世にいう“アドレナリンが逆流する”というやつですね。おそらくですがそのトラブルの原因の多くはちょっと腕や肘が当たったという程度だと思うのです。そんなちょっとした相手の態度に腹が立つというのはよくあるのではないでしょうか。しかも相手が知らない人であればなおさらなんでしょうね。もちろん僕もそうです。でもそんな瞬間を迎えた時に僕の場合は頭の中で “ここで揉めたら後で後悔するぞ!”という言葉がよぎるのです。だから多少ムッとしても『アラ、すいません・・』と少し丁寧に一言添えるようにしています。それからもう一つ、どんなに慌てていても電車内や駅構内ではあまり強引な動き方はしない、という事も心掛けています。そうすれば知らない人と駅で揉めるという事は殆どありません。元々僕は喧嘩なんか得意ではありませんし、負ければ何だかみじめな思いを引きずるという事も分かっているつもりです。仮に勝っても後味は悪いだろうと思うのでそんな見ず知らずの人と喧嘩はしないようにしています。
 ここで一つ前々から不思議に思っていたことなのですが、人はどんな瞬間に知らない相手に対して怒りのスイッチが入るのでしょうか?知らない人とチョッとぶつかるだけで本当に毎回スイッチが入るのでしょうか?多分そんな事は無いと思うのです。そのスイッチは相手の風貌を見て入るのでしょう。自分より明らかに弱いと思えば“パチン”と怒りスイッチが入いり、逆に自分より明らかに強そうな屈強な男だったら入らないのではないでしょうか?要は“勝てる”と直感した時に『オイ!』となるのではないでしょうか?その瞬間は野生動物が獲物を見るように相手を品定めして俺より上か下かをかぎ分けているのではないかと思うのです(動物の場合は食えるか食えないかでしょうけど。)。相手の顔つき風貌なんかが判断の基準なのでしょう。極端な例えをするなら、電車の中でマイク・タイソンやボブ・サップのような屈強そうな黒人とぶつかって『オイ!』とは言わないでしょう(まぁそんな奴そうそう居ないでしょうが・・)。そんな時は満面の作り笑いで『どもども』なんて片手でゴメンのポーズを顔の前で取って、しかも中腰でそそくさとその場から離れるのではないでしょうか。もちろん僕もそうします。そんな奴に蛮勇を振るってかかっていったら間違いなく瞬間的に病院送りです。また同じ日本人同士でも見るからに“その筋”の人ならやはりそうするでしょう。ところが実際に多くのトラブルを見ていると、二人の人間が争っている場合の多くはどっちもどっちといった感じなんですね。でも当の本人たちがファイティングポーズを取っているところを見ると、お互いに“俺が上や!”と思っているのでしょう。多くの人は喧嘩なんか慣れていないのでしょう。その喧嘩の中にはお互いに腕を掴み合ってホームでクルクル回っているという光景も見たりします。それぞれが頭に血が上っているのでしょうが、何だか運動会で嫌々やるフォークダンスを思わせるような光景で、もう可笑しくもあります。まぁ痛々しいもんです・・。
 僕の考えでは、実はこの“カチン”と来る瞬間に危険が潜んでいると思うのです。それは“相手の強さを見誤る事がある”ということです。心の中で相手の強さを見積もって、“いける!”と感じたのに突っかかると返り討ちにあるというパターンがあります。これは今から約6,7年前の事です。僕はいつものように仕事帰りで満員の電車に乗っていました。とある私鉄電車の特急で乗り換えをしようとした時です。ドアの横に一人の角刈りのオジさんが立っていました。見た目は五十代後半くらいで、白髪交じりの角刈りで体格がよく、もしかしたら若い頃は柔道か何かをしていたのではないかというような立派な体格をしたオジさんでした。そのオジさんはそれなりに周りに気を遣っているような感じで立っていたのですが、この満員電車を出る一人の若者がこのオジさんに軽くぶつかりそうになったのです。その若者は三十ちょい前くらいの痩せたノッポで、その表情はいかにも気が強そうでした。そして少しイラついてもいたのでしょう。出口でぶつかりそうになって『チッ、あぶねーな!』と言いながらオジさんを肘で押しのけようとしたのです。するとどうでしょう。次の瞬間にオジさんは無言のまま片腕でその若者の襟首を掴んでホームの方に投げ飛ばしたのです。それは凄い腕力で、ほんの一瞬の出来事でした。気が付けば若者はホームに尻もちをついていて、いつの間にか額を少し切っているではありませんか。そして微かに左の眉毛の所に血が滲んでいました。僕は周りの人たちと一緒に凍り付いてその光景を見ていました。この若者はどういうリアクションをするのだろうかと誰もが固唾を呑んでみていたら、その若者は『痛てーな・・』と言いながら強気な態度は崩していませんでしたが、尻もちはついたままでした。オジさんは知らん顔をして涼し気な顔で正前を見て無視しています。これで勝負ありといった感じで周りの人たちも何事もなかったかのようにその光景を無視して捌けていきました。この若者はまさに相手の強さを見誤ったのですね。ぼくは心の中で“あんちゃん、アンタが悪いよ・・”と呟きながらその場を去りました。
 よく “負ける喧嘩はするな!”という人がいます。それはそれで分かるのですが、勝てる相手を探して喧嘩するのもどうかとは思います。チョットしたことでイライラして相手をやっつけてもむなしいと思うのです。そんな時に人を征したら多少なりでも気分は良くなるのでしょうか。そんな事を繰り返していると、基本的にはその人の性格がものをいうのでしょうが、気持ちばっかり大きくなってやっぱり近寄りがたい人間になると思うのです。多くの人は日常の生活で携わる人と突発的な喧嘩はしません。相手と自分の関係をよく分かっているからだと思うのです。それは日常の挨拶一つにも出てきます。この挨拶というのも不思議で、その場で相手と交わす挨拶の言葉に上下関係や親密さが出ます。仕事上のお客さんや上司なら自ずと丁寧になるでしょうし、同僚や部下ならラフな言葉になるでしょう。その言葉使いで互いに距離感を取って誰もが自然にトラブルを回避しています。しかし知らない人となるとそのセンサーが働きません。ですから見た目で勝負をしてしまうのでしょう。駅での喧嘩相手はその場限りの人間関係です。喧嘩をする人は誰もが“旅の恥は掻き捨て”という勢いで暴れます。そんな人たちにとっては駅や電車は自己顕示欲の見せ所なのでしょうか?その人を知ってしまえば結構憎めなかったりするのではないでしょか・・。
 いずれにしろ相手を見て態度が変わるという事は、ある意味誰もがやっている事であるのは確かです。それ自体はもしかしたら人として自然な態度なのかもしれませんが、でも公共の場では一歩引いてお互いにトラブルの無い生活にしたいですよね。いろいろ腹は立つとは思うのですが、チョットの我慢が大切かなと思います。特にお酒を飲んだ後は要注意ですね・・。

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