#エッセイ (日常の風景より)『よその子の成長』
私自身が歳を重ねたからという訳ではないのですが、私は若い頃から朝の出社には余裕を持ちたいと思っている方なので、毎日の習慣で会社には8時チョット前に着くようにしています。席に着くとまずパソコンを立ち上げてから身の回りの整理を少しして、そしてすぐに休憩室に一服しに行きます。
休憩室は社屋の3階にあり、そこに入るのが大体8時20分過ぎ頃です。それが日々のルーティンになっています。温かいコーヒーを啜りながら外の通りを眺めていると、町の学校に通う小学生の列を毎日見かけます。何気なく子供たちの歩く姿を見ているのですが、その列の真ん中らへんにいつも同じ小さな女の子がいます。その子はおそらく二年生でしょう。子供たちの事は毎日見ているから何となく覚えてしまうのですが、去年のその女の子はランドセルに黄色いカバーをかけていたので一年生であるという事一目で分かっていたのです。周りの他の一年生よりもちょっと小さな体をしており、またその子の列の前後を歩いている上級生たちの歩幅に合わせるために、その子の短い歩幅でついていくために懸命にチョコチョコと歩く姿はかわいらしくとても印象に残る子だったのです。つい先日の朝もいつものようにいつもの所からその子たちの歩く姿が見えたのです。例のその女の子は去年よりも大きくなっているようで、ランドセルからは黄色いカバーが取れていました。そして、今年は新一年生の後ろを歩いています。それでもまだ体は小さいのですが、去年と比べて”大きくなったんもんだな・・”と去年の姿を思い出しながら感慨にふけってしまいました。
他人の子の成長は早いものです。知人・友人に子供が生まれたなんて言う話を聞いて、それから数年後にその人に会ったりして子供のことを聞くと、もう小学生だったり、高校を出ているなんていう話を聞いたりしてびっくりすることが多いです。そんな話を聞けば『そりゃ俺も歳をとるわな・・』なんて思ったりもします。これは人の人生にとって時の流れがそれだけ早いという事なのか、または昔なじみの友人や知人と疎遠にしている時間がそれだけ長いのかという事なのかもしれませんが、よその子の成長の話を聞かされるたびにいつも考えてしまいます。自分の人生の中で時間の長さを測る物差しはその時々の事柄や内容によって変わるのは当然ですが、対人関係に関して言うなら”去る者は日々に疎く”とはよく言ったものだと思うのです。それと同時に昔の知人・友人に不義理な事をしている自分を内心恥ずかしく思うのです・・。
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