#エッセイ(日常の風景より)『街頭募金』 

 先週末の夕方の事です。学生時代の友人と久しぶりに飲みに行く約束をして、待ち合わせの駅前で待っていました。改札を少し離れたところで白いジャンパーを着た若者二人が街頭募金を募っていました。彼らの上着をよく見ればその団体は”国境なき医師団”と書いてあるのです。”ああ、テレビのニュースで見るやつだね”と思いながら少し離れたところで友人を待ちながらその二人を見守っていました。
 やはり声をかけても街の人は中々足を止めてくれないようです。私はその光景を見ながら募金をしようかと悩んでいた時の事です。一人の通行人の若者が捕まった様でした。年の頃二十六・七くらいの優しそうな感じの青年で、無理に振り払うという事が苦手なタイプだったのでしょう。歩きながら話を聞いて、私の近くで立ち止まりました。”国境なき医師団”の説明を2,3分ほど聞いてネットでの募金をお願いされていました。その青年は少し困ったなという顔をして恐るおそる口を開生きました。彼がなんて言うのだろうかと気になって、私は思わず聞き耳を立ててしまいました。そうすると彼は開口一番
『ネットでの口座振替はちょっと遠慮したいです。この場でならいくらか寄付させていただきますけど・・』
というと、
『今の時代では信用問題もあり振り込みしかできないのです・・。』
といわれていました。私は”なるほどね・・そりゃそうかもな!”と思って聞いていたら青年は続けて『ん~・・・、皆さんの活動は本当に素晴らしいとは思うんです。それに対して文句やケチをつける気は無いんですけど、僕たち日本人は遠くのよその国に沢山の支援をしますけど、何か感謝の一つでもされたことがありますか?感謝されなければやらないというのも変ですが、何か違うと思うんです。僕たち日本人は感謝などを強要しないというのが美徳ですよね。その姿勢は僕も嫌いではないのですが、でもなぜそんな支援がよその国に対してなんですか?僕たちの国の中にも困っている人ってたくさんいますよね。障害があって十分なケアを受けられない人や、交通遺児や身寄りのない孤児だつて、十分なケアを受けられて無いと思うんです。テレビの中でもよく見かけますが、多くの人は行くことも無いような遠くの国の会うことも無いような困っている人の話をして心を痛める事は比較的好きなようですが、同じ国の目の前にいるはずの弱者に対しては少し冷たすぎると思うんです。もしあなた方が、海外に向けて篤く活動するのと同じように国内の人にも手を差し伸べる活動をするなら僕は喜んで寄付させてもらいます。生意気なようですいません・・・。こうはい言っても今の僕は何も出来ていませんけど・・・。でも皆さんはいい活動されているので頑張ってくださいね・・・。』
というような内容を一気に言って足早に去っていきました。
 それを聞いて、”若いのにしっかりと物を考えて偉い青年だ・・”と思わず感心してしまいました。ですが募金を募る青年は『医療』という事に焦点を当てており、貧困という事ではありません。そうなると観点が少しずれているので、ここで海外での活動と国内での活動という話に乗っけるのもちょっとどうかとは思うのです。確かに東日本大震災の時にも国境なき医師団は来日して国内でも活動をしていましたし・・。そういう意味ではさっきの若者の話は少し論点がズレるような気もするのですが、でも困った人たちに援助をするという意味で枠を広げて考えれば確かのその通りかなと思うのです。あの青年の言う通り、確かに私たち日本人は救済や援助という意味においては同胞である日本人に少し冷たい一面は感じずにはいられません。そしてまた全ての困っている人たちを一気に助ける方策は確かにありません。その目的に沿って活動の在り方を分けてするべきだとは思うのですが、そうなると国境なき医師団の青年にとっては今回は少し酷な話だったのかなと思うのです。

 今回私の目の前で繰り広げられた一連のやり取りは人を助けることの難しさを物語っていると思うのです。間口を広げた活動だと目的はボヤけて中々活動も進まないでしょうし、何かに絞った活動だと個々の人々に理解を得にくかったりします。援助や募金というのは多くの人に訴えていくという事も大切なのでしょうが、基本は教育による啓蒙とそれぞれの人の自発的な気持ちの方が大切なのかな・・と思いうのです。善い行いをしようとして募金を募る青年を少し気の毒に思う傍ら、自分ならあの瞬間に何を彼に語っただろうかと考えてしまいした。

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