#エッセイ『燃えるとき!』

   ここ最近の僕の生活ですが、いつもと同じように会社に行き、いつもと同じように家で過ごす。こんな日々を繰り返し、とりわけ何か嫌な事があったわけでも無く、その逆に良い事も起らず、淡々と毎日をやり過ごすように送る・・・、そんな日々の繰り返しです。自分の感情の乱高下もさほど無いので、考えようによっては今の人生が安定しているのでしょうが、でも何か物足りない。それが今の本音です。それなりに会社の仕事をこなし、定時が来れば家に帰る・・・。家に帰って晩御飯を家族と食べる時はそれなりに楽しい話もします。食後に風呂に入ってから夜、布団の中でその日一日であったことを思い返すと基本的には何も問題の無い一日だったと思う事が多いです。
 “それならそれでいいじゃないか!”と思うのですが、なんだかこの平穏が実は僕には耐えがたい事なのかもしれないと最近思い始めています。僕だって基本的にはトラブルは嫌いです。普段の生活の中でやるべき事は何事もスマートに片付けたいとおもっていますし、何かをするにしても基本的にはキチンと段取りが出来なかったり、やるべき道筋が見えていないと焦ったりイライラしたりします。仕事でトラブルが発生すると内心焦ってしまい、心が折れそうになりながらそれに都度対応してきました。でもトラブルを乗り越えた時の達成感は実は大好きです。その事は何回も経験して後で分かった事です。そしてできる事ならそのトラブルは自分が主体となって解決をしたいと思っています。そう考えると、僕はいつも心の中で何かと戦っていないと人生が充実しないようです。
   今の会社に新入社員として入社してからは僕なりに苦労の連続でした。いろいろな上司に仕えて仕事をしてきたのですが、そのほとんどの上司と馬が合わないことが多く、また物覚えがあまり良い方ではないと自分でも自覚しているのですが、仕事のミスでもよく罵られました。若かった頃の僕は仕事の間違えを何とかしようと思うあまりに取り繕って報告したりして、結果として余計に事が大きくなったりして本当に叱られまくったもんです。当時の僕はそれが悔しくてやるせない気持ちになったもんです。そして心の中では“俺はなんて不幸なんだ・・”とよく思っていました。あの当時はそうやって自分の中で戦っていたのだと思うのです。でも普通に過ごせる日々が始まると、それはそれで嬉しいはずなのですがでも何だか何物足りないと心の中で思っていたように記憶しています。自分の意識の中では“トラブルは嫌だ”と思い込んでいるのですが、日々が平穏だとその反対の事を無意識に求めていたように思います。その時々で気分は違うのですが、仕事上で問題が起きた時は、若い頃は焦っていいたのですが、歳を重ねると何をどう処理していけばいいのかという道筋が見えてきて、気が付いたらその処理にファイトを燃やしている自分に気が付いたのです。段々と後輩や部下の世話をしていくうちに、最初は“うぁああ・・・”と逃げ腰になりそうだったのが、そのうちに“イヤイヤこれを前向きに捉えて正面からやるぞ!”何ていう風に変わってきたのです。
 そう考えると”幸せとは何ぞや?”と考えてしまうのです。何かに向かって一心不乱に頑張っている瞬間は大変かもしれませんが、後で振り返ってみると”あの時は幸せだったな!”とか”あの時は充実していたな”なんて思うことが多いのではないでしょうか?多くの人の場合は前向きな事にチャレンジした思い出にそう思うのではないでしょうか。また、前向きでないとは言いませんが受験勉強の思い出もそうかもしれませんよね。それが僕の場合は仕事のトラブルなのかもしれません。自分の顕在意識で嫌がっていることが実はその潜在意識では自分の大好物だったのかもしれません。仕事のトラブルをいつでも上手に片付けられるという訳ではないのですが、でも最後までキチンと対応したときの充実感が好きなんです。そこに至るまでには多くの人に頭を下げたり、重要人物に話に伺う前に関係者に根回しをしたりするのは大変です。でも自分の言葉が相手に伝わるその瞬間が何とも言えない快感なんです。時にはどんなに誠意を尽くして相手に説明しても伝わらないことも多々あります。それは人としてその相手とかみ合っていない時です。ぶっちゃけていうとその人いに好かれていないのでしょう。もっというなら嫌われているのですね!でもそんな時でもマゴマゴしていられません。前に進まないといけないので何とか解決をする為に努力をします。そんなときには”ダメな結果を出しながら前進する”という言葉を思い出すのです。多くの経験を積んで一つの教訓を自分で覚えました。相手に納得してもらう様に話すなら、相手の話を聞くという事です。相手の話を否定しないで辛抱強く聞き、落としどころを探りながら”でも”とか”しかし”という言葉を極力避けて話すのです。時と場合によっては結論からは話す事が有効的であったりと、その時々で効果は違います。いつでも正し方法で進めているとは思いません。振り返ってみると失敗に連続です。そして僕の中に残ったことは図々しさだけなのかもしれません。でもトラブルを片付け終えるとやっぱり今日も生きている事を実感するのです。
 僕は決して仕事人間ではありません。むしろどうやって楽をしてやろうかと思っているくらいです。同僚がトラブルの中にいれば”大変そうですな・・・”と遠巻きに見ているような奴だと自覚しています。でもそこに自分が入らないといけない状況になれば”えーー!”と思うのは最初の二、三秒でその後は“よし、やったるで!”という気持ちになるのです。”俺なりの誠意”でぶつかっていくのです。その瞬間に僕は”生きている!”と感じるのです!

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