#エッセイ 『いざ手術!』

 入院した日の翌日の朝を迎えました。今日はとうとう手術です。午後一時からの予定ですが、朝から何も食べられません。昨晩飲んだ“とんぷく”と書かれた下剤の効果もあって朝から快便です。午前十時まで水分を取ることが許されていたので、水を少し飲んで午前中は待機です。あれだけ怖がっていたのですが、ここまで来れば落ち着いたもので、テレビを観ながらゆっくりと過ごしていました。お昼を過ぎた頃に看護師さんが来て『手術着に着替えるように』との指示を受けます。足には少しきつめのストッキングのような靴下をふくらはぎまで履いて準備は万端です。

 そして午後一時半を過ぎた頃に看護師さんが迎えに来てくれました。手術室までは自分の足で歩いていくのです。特に緊張をするという訳でも無かったのですが、それでもどこか不安です。ここまで来ればジタバタしてもという感じです。病院の二階にある“中央手術室”と書かれた自動ドアを看護師さんと一緒に入り、入った所で待機です。五分ほどそこで待たされるのですが、その間に『緊張していますか?』
と付き添いで来てくれた看護師さんに優しく質問をしてくれました。
『そうですねぇ・・、やっぱりいざとなると少し怖いですね・・』と答えたら
『みなさんそうですから、でも麻酔で寝ている間に終わりますので大丈夫よ。』
と言って励ましてくれました。不安と緊張を取り除こうと思ってくれたのでしょう。その時はその言葉がとてもありがたく感じました。そんな会話をしているうちに奥の手術室からいかにもという手術着を着た看護師が来て、僕の名前と生年月日を確認し、それが合っているという事を確かめてから一緒に奥にある手術室に入りました。
 生まれて初めて入る手術室です。テレビドラマで見る様な機材と手術台、その上には丸い円盤型のライトまであり、内心“おーーー!”と圧倒されてしまいます。そして手術台の前には昨日の夕方にマジックで僕の横腹に○×を書いた先生が立っています。両手に手術用の手袋をはめ、その手を胸の前でハの字にしたポーズはもうドラマの中の外科医そのものです。頭に帽子をかぶりマスクをして目にはゴーグルも付けています。先生は僕と目が合うと
『頑張りましょうね!』と声を掛けてくれました。
今の僕にはこの人が頼りです。祈るような気持ちで
『宜しくお願いします。』と両手を膝についてお辞儀をしながら言いました。
その執刀医の先生の目はゴーグルの奥でニコッとし、軽くうなずいてくれます。その瞬間は不安で緊張していたので、そのやり取りをどれだけ心強く感じたでしょうか。こんな時にはまかり間違っても『オマエも頑張れよ!』なんてジミー大西のようなギャグは冗談でもいえません。命を預ける気分ですからそこはやっぱり僕も真剣です。
 手術台に仰向けになって横たわると、看護師さん達が手際よく色々な事を始めます。まずは僕の着ている手術着のボタンをあちこちプチプチと外して患部を剥き出しにします。手術台で横になりながら“こんなところにボタンがあったのか!”と少し驚きました。そして右手の手首横(僕は左利きですので)に点滴の針を刺します。それがチョッとチクッと痛むのですが、結果から云うと手術中一番痛かったのはこの点滴を刺した痛みでした。そして病室から付けてきたマスクがまだ口に着いていたのですが、その上から酸素マスクを装着します。そこで“ん?”と思い
『あの~マスクしたままですけど・・・』と看護師さんに問いかけると
『後で外しますからそのままでいいのよ!』と言うのです。
そんなもんかと思いながら目を瞑って待っていました。そろそろ『じゃあ、10,9・・とカウントダウンしてください』と言われるんだろうなと思っていたら、そのままもう麻酔にかかっていたのです。次の瞬間に目を開けるともう手術は終わっています。その間約二時間くらいでしょうか。でも僕の意識の連続性では本当に一秒の出来事です。これは本当に不思議な感覚で、普段の睡眠で眠りから覚める時にでも時の流れをどことなく感じるのですが、本当に瞬きを一回した程度の感覚しかないのです。手術前にちょっと気になっていた麻酔中の夢ですが、これは全く見ていないと思われます。何しろ自分の中では瞬き一回分の時間しかたっていないのですから。感覚的には目を閉じた瞬間に(実際は二、三時間経っているのですが)軽くポンポンと看護師さんに優しくほっぺたを叩かれて
『分かりますか?終わりましたよ!』と声を掛けられたのです。
“エッ!今目を閉じたとこじゃん!”頭の中ではそんな事を思うのです。そして何となく頭がボーっとしているのです。そのぼんやりとした感覚の中で、“ああ、終わったのね・・・”と認識をするのです。麻酔の名残があるからなのかそれは分からないのですが、目の覚めた瞬間には痛みは何も感じません。何が何だか分からないので周りを確認するために首を左右にキョロキョロとして自分が今どこにいるかという事を確認した記憶があります。そして看護師さんが優しく
『お小水は管をしているから大丈夫ですけど、お通じの方は大丈夫ですか?』と質問をしてきます。
僕の頭はボーッとしているのですが、そんな事を聞かれると何となくしたい気になって、そして呟くように
『う~ん・・チョッとしたいかも・・・』と答えました。
そうするとその返答は看護師さんにしてみれば予想に反した答えだったのでしょう。
『えっ!大変よ!この人ウンチ出るかもって言ってるわ!』
と他の看護師さん達と騒いでいる声が聞こえます。ぼくはそれを目と閉じて聞いているだけです。手術台から移動式のベッドに引きずられるように体を移動され、慌てるように手術室を後にします。自動ドアが開いて僕が寝ているベッドが院内の廊下をガラゴロと慌てて移動しています。ベッドで横になって運ばれている僕は廊下の窓から夏の日差しが差込んで気持ちがいいなとぼんやりした頭で思っています。手術終わりとはいえ呑気なもんです。それに引き換え看護師さん達は僕の“お通じ”を気にしていたのでしょう。何だか焦っている事が伝わってきました。エレベータに乗せられ、何回か角を曲がって自分の病室に着いたのですが、その間の事はあまり覚えていません。気が付けば自分の病室に戻っていました。何も食べていないので結局”お通じ”は無かったのですが・・・。僕も本当に人騒がせです。
    病室に戻ったら点滴・心電図を装着され、足のふくらはぎには血圧計のような巻物をはめられます。そして『気分が悪くないか?』と看護師さんの誰かが質問をしてきました。頭の中はまだボーっとしているのですが病室に戻った頃から確かに吐き気がするという事は自覚していました。どうやら手術後は麻酔の影響で誰もがそうなるようです。これはお酒を飲み過ぎた後に来るような感じのものでは無く、風邪などで嘔吐をする前に感じる胸やけと同じ感覚がするのです。あまりにも気持ちが悪いので深く息を吸って吐くのですが、その瞬間は吐き気の苦しさ以外に何も考える事が出来ないのです。日常の仕事場やプライベートの煩わしい事なんかどうでもよくなります。今この瞬間が苦しいのです。よく、“今を生きる”という言葉を耳にしたりします。過去の出来事にいつまでもクヨクヨしたり、長い先の未来に恐れやありえない希望を持ったりしないで今できる事に夢中になりなさい、という意味で語られますが、意味合いは全然違うのですがまさにこの瞬間期せずして僕は今を生きるという事をしているような気になりました。気持ち悪さ以外に何も考えられないのです。その吐き気を止める薬を点滴のように投与されて二時間ぐらい経ったころでしょうか、知らないうちに吐き気は止まっていました。そうすると今度は手術跡の患部が痛み出すのを感じるのです。そこはやっぱり看護師さんたちもよくわかっているようで細かくケアをしてくれます。その痛みは我慢が出来ないほどではないのですが、やっぱり痛みで寝付けないのです。一時間おきに看護師さんが様子を見に来てくれます。その度に僕は痛み止めをお願いするのですが、どうやら一回痛み止めを投与すると、その後、四時間は開けないといけないようです。
     一晩中痛みを感じながらウツラウツラしていると、やはり睡魔の方が勝る瞬間が来るのです。気が付かないうちに寝ていたのです。そしてハッとして目が覚めると外はまだ薄暗いです。心電図のモニターに付いている時計を見ると午前四時半です。おそらく一時間ちょっとですが寝ていたのです。目が覚めて窓から見える外の景色では東の方の空に朝焼けが見えます。遠くの空がオレンジ色に見えて何となくきれいだと思って見つめていると、幾つかのマンションではポツポツと明かりが点いていました。自分がこうやってひっくり返っていても世間は普通に流れているという事を何となく感じました。自分の人生では誰もが自分が主人公です。当然僕もそうなんですが、この瞬間に世間の人がいつものようにいつもの生活を営んでいる様を見ると、世界に放り込まれた一人の自分という事を強く感じるのです。自分はヒイヒイ言って横たわっていても世界はいつも通りに普通に流れています。やはり人間には、『自分にとっての社会』という相と『社会に放り込まれた自分』という二つの層があり、日常の世界から切り離された瞬間にそれの事を意識できるもんだと考えてしまいました。
   夜が明けてからは術後に初めて水分を取り、心電図や足のマッサージ機を取るとすぐに歩行練習です。”マジか!”と思いながら若い女性の看護師さんに付き添われつつヨロヨロと歩くのです。手術跡が少しズキズキするのですが、それでも歩いたほうが早く良くなるというのでそれは素直に従わなければという思いです。やってみれば出来ちゃうもんで、おそらく僕の痛がり方は大げさだったのでしょう。その後のその日は日がな一日一人で点滴をぶら下げながらヨロヨロと院内を徘徊して過ごしました。
『さっきまであんなに痛がっていたのに大丈夫ですか?(笑)』
と看護師さんたちには声をかけられる始末です。少しバツが悪い感じもするのですが、僕は元来落ち着きがない人間ですので、
『えへへ・・(笑)』
と笑いながら意に介さず院内のお散歩です。まぁタチの悪い患者なんでしょうね。その日一晩病院に泊まった後、手術の翌々日にはもう退院です。自分としてはそれはどうかと思うのですが、病院がそう云うなら仕方ありません。私服に着替えて術後二日で退院しました。痛みはまだあるので全快とは思えなかったのですが、家に帰れるという喜びもあります。お世話してくれた看護師さんたちにお礼を言って、ブリキのおもちゃのようにヨロヨロ歩いて病院を後にしました。

    今回お入院を通じて色々と考えてしまいました。人生において大切な事、世界の中での自分の立ち位置、医療行為を通じ人は支えあって生きているという事。今回は多くの人に支えられて自分が助かったという事。そして自分もどこかで誰かを支えているかもしれないという事。そういった意味でも時には普段の日常生活から強制的にでも切り離されるという事は大切なのかもしれません。

 今回の入院は少なからず自分の人生観を少し変えてくれる良い経験になりませた。そして医療機関の方々に心から感謝しました。

  チョッと情けない闘病記はこれでおしまいです。

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