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[短編小説]ディストラクティブ・アトラクティエ③

前回からの続き

オサダさんが、「やってしまった」のは、ある週の金曜日だった。

あさ番からごご番に仕事を引き継いでいたとき、レジを打っていた同僚が、あることに気がついたのだ。「売上が少ない」と同僚が言った。レジに蓄積されたデータと、レジに残っていた残金が合わない、と言った。五百円だけ合わないのであった。

「ふふふ」と舞の海秀平が言った。
「また悪い癖が出たみたいだね。これはあれだね。オサダさんの仕業だと思うね」
まさか。
「あの人は泥棒だからね。しかも、コソドロ。気をつけたほうがいいよ」

舞の海秀平(舞)が言うには、オサダさんには、盗癖があるのだという。
正確には、盗癖があるのではないか、という疑惑があるのだという。

半年ほど前に、休憩室に財布を置き忘れた同僚がいて、気がついて戻ってみると、財布から五百円がなくなっていた。そのときに出入りしていたのは、オサダさんだけ、ということで、あの人がやってしまったのだと、みんなが噂しているのだというのだ。やや言いがかりに近い。

「だいたい、そういうことを思わないと、やってられないからさ」と舞(舞の海秀平)。

「あの人と一緒にいると、息が詰まるからさ。五百円くらい盗んでくれないと、やってられないんだよ」

ということで、私たちの間で、オサダ副店長=五百円コソドロ疑惑が立ち上がった(あるいは、すでに立ち上がっていた疑惑が強化された)のだが、それは単にガス抜きというか、想像上の遊びだった。

しかし、それが本社の知ることとなったのであった。

本社に密告(正確には疑惑の報告)をしたのは「丸井」というアルバイトの男性だった。

丸井は三十六歳の男性で、これまで正社員登用をされたことがなく(男性差別)、実家住まいで(男性差別)、パン屋でアルバイトをする以外はパチンコをして過ごしている自堕落ぶり(男性差別・職業差別)なのだそうで、セックスフレンドが二人(そのうち一人はこのパン屋にいる)、給料は家に入れず(良識の押しつけ)、風俗に使ってしまう(良識の押しつけ)そうです。

私にはとても、魅力的とは言いがたい人(人間性差別)ではありましたが、人当たりは柔らかく、喋りがうまく、人と仲良くするのが上手いため、パン屋の仕事はまさに天職か、と思うくらいにできるのです。

おかげで「丸井さんがいると、売上が二倍違う」と、本社からお墨付きをもらうほどだった。

しかし、丸井さんはオサダ副店長と仲が悪かった。

というのも、あるとき、丸井さんが休憩室で大麻を喫煙しており、そのことを注意したのがきっかけで言い合いになったのだ。

休憩室が喫煙禁止だったことを根拠にオサダ副店長は彼を責め立てたのだが、丸井さんは「これは煙草ではない。だから禁止されていない」と言い張って、言い合いは論点をずらしながら平行線をたどり、二人は決定的に対立した(そもそも大麻を吸うことの是非に対する追及に至らなかったことを指して、議論が深まっていないではないか、とセバスチャン氏はご立腹だった)。

オサダさんは副店長として、この一件を本社に報告したのだが、丸井さんとオサダ副店長は、そのときから決定的に対立した。

丸井さんから上げられた「オサダさん五百円コソドロ疑惑」の報告書を見て、本部のエラい人が、さっそく顔を青くして店にやってきた。

「オサダ副店長、勘弁してくださいよ」と、本部のエラい人は言った。
「私は盗んでなんかいません。言いがかりはやめてください」とオサダ副店長は疑惑を否定した。「そんなに私を信じられないなら、ちゃんと防犯カメラを見て、指紋だって取ってもらって・・・」
私たちは、いまそんな話をしているんじゃない!!」と本部のエラい人は怒鳴り声を上げた。

「何度言ったらわかるんだ!丸井さんの機嫌を損ねるような真似をするなというのに。いいですか。私たちは、丸井さんをぜったいに辞めさせてはいけないのです」と言った。

「あなたが本当にやったかどうかはどうでもよくて、一番の問題は、この店が、丸井さんにとって働きにくい環境になりつつある、ということなんです。なぜ、休憩室の喫煙禁止を、あなたはまだ解除しないのです?」
「だって、大麻を吸っているんですよ?」とオサダさんが反論すると、
大麻なんか、いくらでも吸わせてやりなさい!!」と本部のエラい人は激昂した。

「私たちの大事な店がつぶれてしまうかもしれない、という可能性を前にして、一体そのほかに、何か悪いものがあると言うんですか?」と本部のエライ人は言った。

「あなたは確かに信頼できる。そして仕事はできるかもしれないが、あなたがいることで売上が上がっているというデータがない」

本部のエライ人は、オサダさんに向けて言い放った。

「本質的に、あなたには価値はない。あなたはお金を生まない。あなたはお客さんを増やさない。あなた目当てに来るお客さんはいないが、丸井さんにはいる。どちらが、私たちにとって大事か、わかりますか?

あなたは、そうですね、さしづめ、きしまなくて多少動きのいい蝶番といったところだ。あなたは確かによく仕事をしている。でも、そんなことは、誰でもできることを、上手にやっているだけに過ぎない。あなたにパン屋で働く才能はない。しかし丸井さんにはある。

あなたはどこでも卒なく働けるでしょう。しかし、覚えておきなさい。あなたは本質的な価値を生んでいない。ただ、物事を効率よく回すだけだ。あなたには、私たちが本当に求めているものがない。あなたには本質的な価値がないのですよ。わかったら、おとなしく、丸井さんに従いなさい」

オサダさんは反論せず、じっと下を向いていた。

(つづく)

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