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自分を取り戻す


子ども特有のグズりや癇癪、あれは何?これは何?という好奇心、ルールに縛られない自由な発想、楽しければ体全体で大きな声で表現する。
健全な環境育てば自然な姿、責められることもなく温かい目で大人達に受け止められながら育ちます。

ですが親から虐待されてきた私は自分の感情を押し殺して生きてきました。
不機嫌で怒鳴ってばかりの父親と子供に興味がなくコミュニケーションを取らない母親、私はいつも親の顔色を伺い、可愛がってもらえるように良い子でいるよう努めました。

騒がない、泣かない、走り回らない、あれこれ聞かない、ダラダラしない、座る時は正座、物音を立てない。

それでも父は怒鳴ったし、見下し侮辱し人格否定、存在否定を死ぬまで繰り返しました。母も無関心を貫き通しました。

私は自分を抑え込み過ぎて笑うことも喜ぶことも楽しむこともできなくなりました。
怒りも湧かないし、苦しさはあるのに何が苦しいのか何が悲しいのか分からないのです。
感情がなく、自分がどうしたいのか、何がしたいのか、どうなりたいのか、何が楽しくて何が嫌なのか分からないのです。

でも感情はない訳ではなく、心の奥底に閉じ込め頑丈に蓋をし見ないように、感じないようにしただけでした。
親に好かれたいが為に。

親への執着を手放した今、他人との関わりに際し無感情というのが弊害になりました。
人とコミュニケーションが取れなくて孤立したり、親と同類の人を引き寄せてばかりで、子供の頃と状況が変わらないどころか、他人にまでこんな扱いを受けるのかと絶望感でいっぱいでした。

そこで抑え込んだ感情を解き放つことを決心し自分自身と対話を始めました。
小さい頃の記憶を辿り、本心ではどう思っていたのか、どうして欲しかったのか優しく穏やかに決して否定せず聞きました。

すぐには心を開いてくれません。
根気強く何度も何度も寄り添いました。
自己流でやっているのでこれが合ってるのかも分かりませんが、私は私を救いたいという一心で続けています。

硬く閉じた蓋は少し緩み、怒りが出てきました。
初めは怒りの感情と認識できませんでした。
体は震え、ソワソワし落ち着かずこれは何の感情?と戸惑いました。
自分をよく観察し、これが怒りかと認識すると全身で感じて言葉にして出そうとしました。
なのに言葉が出てこないのです。
思いはあるのにそれを的確に表現する言葉が見つからないのです。

とてももどかしくて「バカー!」とか「くそー!」とかありきたりな語彙力のない言葉しか思いつかず、もっと言いたいことはあるのにとモヤモヤしました。
何だかとても幼稚だと思いましたが、幼稚なのは当然じゃないか?と思い直しました。

幼い頃抑え込んだ感情なのだから言葉だって分からないだろう。
表現する言葉が分からなくて当たり前だろう。
なら「バカー!」「くそー!」から始めれば良い。
段々的確な言葉が見つかる。
今はそれでいい。
そう思って感情の開放を続けています。


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