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西加奈子氏の「くもをさがす」- 自分を堂々と愛せる勇気を

西加奈子さんの「くもをさがす」は、
今、読まずにはいられない一冊です。
この小説は、留学先のカナダでの壮絶な闘い、
乳がんトリプルネガティブの診断、両乳房の切除、
そしてコロナ感染という
身も心も揺るぎない試練に立ち向かいながら、
自己を堂々と愛し、
人生の旅に挑む西加奈子さんの感動的な物語。

素敵なnoterさん仁の音さんが
説明してくださったnoteがありましたのでご紹介します。

特に私が引き込まれた文章は、
壮絶ながん治療の間に本を読むこと、文学を読むことに触れた箇所。

そして、間違いなく救いであったと言えるのが、読むことだった。小説、エッセイ、ルポルタージュ、詩、ありとあらゆるものを読んだ。(中略)
ヴァージニア・ウルフは本を読むことについてこんな風に言っている。
「それはまるで、暗い部屋に入って、ランプを手に掲げるようなことだ。光はそこに既にあったものを照らす。」
似たようなことを、ウィリアム・フォークナーも言っている。
「文学は、真夜中、荒野のまっただ中で擦るマッチと同じだ。マッチ1本では到底明るくならないが、1本のマッチは、周りにどれだけの闇があるのかを、私たちに気づかせてくれる。」
 読後、私もその闇を感じた。物語そのものの光は、私を間違いなく救ったが、自分が身を浸している闇を知ることも、私に新しい、そしてある種強固な救いをもたらした。その闇は、馴染み深いものであったはずだった。それはずっと、ずっと私と共にあったものだったからだ。それなのに、どこか真新しいものに見えるその闇の中で、私は自分自身のことをすら、真新しいものとして観察することが出来た。私はここで何をしているのか。私はここで何を思っているのか。私は誰なのか、あるいは何なのか。それはある部分で瞑想と似ていた。

西加奈子「くもをさがす」p129-130

そしてその闇がやがて恐れだったことを知ります。
異国で、がんという病気になり、
そしてコロナにも感染
恐れだって、並大抵のものではなかったはずです。

 見つめた先にあったものは、大抵、私の中にある恐れだった。それは本当に頻繁に、頻繁に現れた。例えば何かに腹がたった日、その感情をずっと見つめ、解体し続けると、最後に現れるのは恐れなのだった。(中略)
 恐れには形がなかった。実態のない塊として私に取り憑き、時には恐れそのものも、何かに怯えていた。私は恐れを哀れに思うようになった。長らく私の体に寄生し、私の感情の発端となってきた恐れは、私自身が作ったものだった。私は恐れの母であり、父であり、友だった。私は恐れを抱きしめた。私が作り、長らく私を苦しめてきたこの恐れを、私は今こそ自分の、このたった一人の自分のものとして、抱きしめなければならなかった。

西加奈子「くもをさがす」p131

彼女は逆境に立ち向かい、
自身の内に秘められた力を発見しました。
自分を受け入れ、愛することで、
彼女は苦難を乗り越え、
自分自身と世界を新たな光で照らしました。
西加奈子さんは私たちにも、
生命の尊さと愛の大切さを教えてくれるのです。

「くもをさがす」は、勇気と感謝の物語。
西加奈子さんの作品は、
私たちに生きる力と希望を与え、
心に深い感銘を残します。

もし本屋さんで見つけたら、ぜひ手にとって欲しい
2023年の一押し本です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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