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みんなが集まる、説法の地

愛知県岡崎市矢作町にある真宗大谷派のお寺、福万寺は毎月いろんな行事が開かれ、地域のみなさんが集まるお寺。住職の戸松憲仁さんは福万寺の行事だけでなく、あちこち他のお寺からも声がかかって法話をしている。かつては明治時代に開かれた説教所だったと聞くと、納得のルーツだ。


始まりは「西矢作説教所」

――ご住職は精力的に法話をされているそうですね。

「先代の住職だった私の父親が、説教師として長年いろんなお寺へ出かけていっては、お話をさせてもらっていました。どうだろう、1年のうちの400日くらいは出ておりました」

――1年は365日ですよね?

「早朝、午前、午後、晩ってする日もありますもんで(笑)。子どものころから、父親がおもしろおかしくしゃべっているのを聞いていました。私は30年ほど前に住職を継ぎ、同じようにお話をさせてもらっています。今は、だんだん法話のやり手が少なくなっています。大きなお寺だと自分のお寺の仕事が忙しくてそうそう出ていけませんが、うちはそうでもないのでやらせてもらっております」

親しみやすい三河弁の戸松憲仁住職

――お寺の歴史はいかがですか?

「元々は説教所だったんですよ。お寺じゃなくて、お坊さんの説教を聞くための説教所と呼ばれる集会所が、昔はいろんなところにありましてね。うちの場合は、明治時代に、地元の信仰深い人が私財をなげうって西矢作説教所というのを作られて、その留守番人として入ったのが、私のひいおじいさんというわけですね。その後、お寺の格、寺格をとって福万寺となったのは昭和になってからのことです。今の本堂が建つ前は、小さくて、普通の家にちょっと毛の生えたくらいの本堂でした」

昔の福万寺の本堂

お説教は温かみのある方言で

――法話は全国各地に行かれるんですか?

「ほとんどが東海地区です。といっても、名古屋はあんまりお呼びがかかりません。言葉が違うんです。方言ですね。お説教ではあえて方言を使うんです。方言というのは、何か温かみがあって、親近感が沸いて、死んだ自分の親から言われておるような気分で聞ける。標準語だとなんか教科書の言葉のようで、他人事のように私には、聞こえちゃいます。

そういえば、大河ドラマの『どうする家康』で、三河一向一揆のときに、野寺(愛知県安城市)の本証寺の住職役だった市川右團次さんが、三河弁を使って、上手にしゃべっていらっしゃったのには、感心しました。

おもしろいことに、知多半島というのは、車も名古屋ナンバーで、宗派でも名古屋教区ということになっていますけど、あそこは、言葉はどっちかというと三河弁なんです。だからあそこはよく行きますね」

――いろんな行事を開催されて、今も地域のみなさんが集まるお寺ですね。

「毎月、親鸞教室とおはよう講座でお話をさせてもらっています。父親が始めて50年以上になります。親鸞教室は毎月、日が変わりますが、午前10時と午後7時半からの2回、おはよう講座は第1日曜の朝の6時半からです。その気があれば、どこかの時間で参ってもらえるっていうわけです」

親鸞教室の様子。ホワイトボードには「天才バカボン」の文字が

人形劇や落語会も

――子どもが参加できる行事もあるんですか。

「私が子どものころから毎年、建国記念の日の2月11日に『こどもほうおんこう』というのが勤まって、献灯献花といって、集まってきた子どもたちみんなで、仏さまに、お花やロウソクをささげて、たくさんのロウソクの灯りの中で『キミョームリョー』とお参りをして、そのあとで人形劇、最後にはお菓子をもらって帰るんです。コロナ禍で中止が続きましたが、毎回50~60人くらい集まる行事で、ある年には190人くらい来ちゃったこともあります。たぶんお母さんたちがSNSで広げてくれたんだと思いますが、用意していたお菓子の袋詰めがぜんぜん足らなくなって、世話方一同、あわてて買い行ってなんとか間に合わせました。

以前にはミニ四駆大会を開いたこともあります。子どもたちがやろうっちゅうもんで、みんなでコースを持ってきて、本堂前の階段を登るようにコースを組んでやったら、収拾がつかないくらい人が集まっちゃった」

――大人は法話を聞く行事が中心ですか?

「10月には落語会もあるんですよ。『笑点』に出ているピンク色の羽織を着た三遊亭好楽さんのお弟子の、三遊亭兼好さんと檜山うめ吉さんに長年お越しいただいています。お楽しみは、落語が終わってからの打ち上げ。みんなで、一杯飲みながら、ワイワイやるんですが、兼好さんもうめ吉さんも、普段聞けない芸人たちの裏話などで盛り上げてくれますから、みんな大喜び。記念に写真もたくさん撮ったりします。それもコロナ禍では中止になってしまいました」

本堂には落語界の掲示も。ご住職手書きのコメント付きで楽しい様子がよく分かる

コロナ禍で人と人との距離が変化

――みなさんが集まるお寺なだけに、コロナの影響は大きかったですね。

「変わっちゃいましたね。コロナの前までは、午前午後の法要は、みんなで昼食をとっていたんですけど、今は、半日になっちゃった。みんなで食事をとるっていうのは、人と人との距離が縮まって、いろんなことがしゃべれるようになっていくものです。今になってみると、大事なことだなと思うんですよね」

――矢田石材店の「お寺でおみおくり」の賛同寺院になっていただいています。

「矢田さんからのお話がある前から、私は、お寺の本堂での葬式を勧めとったんです。
祭壇なんか組まなくても、ご本尊があって、荘厳さがあって、本堂でやれば、あとはなにもいらん。棺桶や霊柩車はいりますけど(笑)。
だいたい、お葬式というのは自分の家だけのものじゃなくて、その人、その家族とご縁のあった者、親戚、友人、隣近所、みんなで弔うものなんです。昔、村八分って言葉があったけど、いくらつまはじきにされとっても、二分だけはお付き合いしましょうねというのが、葬式と火事の時。そういうお付き合い、地域の人間関係が伝統だったんだけど、今は『村ゼロ分』になっちゃった。
本当は、近しい人の『死』から、自分の『死』を学ぶんですよ。何人も何人も『おみおくり』をして、徐々に自分の『死』を受け入れる覚悟をつけていくんです。だから、どう葬式をするのかは大切なんです」

お経はすべて生きている人のため

――お寺にいらっしゃるのはやはり年配の方が多いんですか。

「仏教の教えっていうと、お年寄りの方が聞きに来られることが多いですけども、本当は若い人が聞いた方が楽しいと思うんですよ。『今からの人たち』ですから。死んだ人に向けて説かれたお経というのは、ひとつもありません。みんな生きている人に向けて説かれたもの。生き方みたいなもんですから。だから、これからの人生がまだまだ長い『今から』の人に法話を聞いていただきたい」

――仏教は生きるためのものだということですね。

「仏教っていうと、悟りを開いて、仏になっていくっていう、究極の目標はそこかもしれませんけれども、その前に『私が私になる』『私は私を生きてまいります』っていう覚悟がいると思うんです。あの健康な人がうらやましい、なんでこんな弱い体に生まれちゃったのかしら、って言ったって代わってもらえない。つらいかもしれんけど、でも、ここでしか生きていくとこはない。だから『私はここを生きます』っていう覚悟をもらうことが、大事なんじゃないかなと思います」

正面から本堂へ続く小径

寺名:護水山 福万寺
宗派:真宗大谷派
住所:愛知県岡崎市矢作町西河原12ー2


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

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