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亡き妻のお寺を守っていく

愛知県新城市の最勝院は、縁日が立つなどにぎやかなお寺だったという。再びにぎわいを取り戻したい、と話す神谷嘉則住職は元サラリーマン。最勝院のお嬢さんと恋に落ちて、お坊さんに転身して、空き寺を引き継ぎ、本堂を再建した。いろんなご縁を感じながら、お寺を守ってる。


にぎやかだった新町薬師

――最勝院について教えてください。

「JR飯田線の東新町駅の近くにある浄土宗のお寺です。一行山最勝院といいまして、『お念仏が一番いいんだよ』という意味です。開山は1624年、徳川3代将軍家光公の時代です。
鳳来寺の峰ノ薬師と同木同体と伝えられる、秘仏の薬師如来像は、鎌倉時代末期の作です。このお薬師さんが有名で、『新町薬師』といわれて、昔は薬師堂があって、縁日が立ったり、歌舞伎をやったりして、檀家さんだけではなく、信者さんも大勢お参りに来る、かなりにぎやかなお寺だったそうです」

本尊の阿弥陀如来像(左)、秘仏の薬師如来像がおさまる厨子(右)

――今も、にぎわっているんですか。

「年配の檀家さんたちから聞いた、かつての話です。私は最勝院の一人娘と結婚しまして、平成6年に最勝院に来たんですが、先代のお義父さんは昭和57年に亡くなられていて、その間の約12年は空き寺でした。来た時は、本堂も300年近く経っていたので、雨漏りもあって、かなり荒れた状態でした」

歯科医院を訪ねる営業マン

――最勝院に来る前もお寺関連のことをしていたんですか。

「 まったくお寺や仏教とは関係なくて、出身地の豊橋市にある、歯医者さんに診療機械や歯の詰めものなどを納入する会社の営業をしていました。
先輩に頼まれてたまたま行った歯医者の受付の女性とご縁がありまして。後日、その女性の同僚の方から『彼女が、夢にあなたが出てきて食事に行った、と話していたわよ。そんな夢を見たんだから、デートに誘ってあげなさいよ』と言われて、初デートで焼肉を食べに行きました。華奢な子なのにバクバク食べるんです。それを見て、いい子だなあと思ってお付き合いを始めました。
そのうちに、彼女はお寺の一人娘で、お父さんは亡くなっていて空き寺だという話を聞きました。結婚をしようということになり、最初はお寺を出て生活していこうという話をしていたのですが、彼女が『やっぱり私は檀家さんに育ててもらったので、裏切って出ていくわけにはいかない』と言い始めたので、『それだったら俺がお坊さんになる』と言って、会社を辞めて、京都の知恩院へ行って2年間の修行をしました」

神谷嘉則住職

――結婚するためにお坊さんになったんですね。

「 ほれた弱みですね。お坊さんになる動機としては不純だと思いましたが、指導員の先生方からは『それも縁だぞ』『そういう理由もいい』と言っていただきました。
修行を終えてから結婚しようと考えていたのですが、空き寺のころの最勝院を見ていただいていた先輩のお坊さんから、修行へ行く前にした方がいい、籍だけでも入れた方がいい、と強くアドバイスされて、あわててバタバタと結婚式を挙げました。結婚していなかったら修行の途中で逃げ帰っていたかもしれません。修行後、先輩にご報告でうかがったら『結婚してから行けと言った意味が分かっただろ』と言われました」

初めは何も分からなかった

――住職になってからも大変でしたか。

「最勝院で最初のお盆は、女房に檀家さんの家を教わりながら回って、夕食の準備を始める午後5時くらいには終わるはずだったお参りが、夜の8時くらいまでかかってしまいました。
初めは何も分からなかったのですが、2年前には、かつて雨漏りをしていた本堂の建て替えもできました。寄付をお願いしてからわずか1カ月で目標額に届き、ずっと檀家さんに盛り立てていただき、ここまで来られたと思っています」

病床の妻が願った本堂建て替え

――奥さんはお寺を継いで安心されたでしょうね。

「住職になって、女房から『お父さん、ありがとうね』とか言ってもらいまして、『お前のためにお坊さんになったんだぞ』と威張らせてもらっていたんですが、最愛の女房は2年前に亡くなってしまいました。
本堂の建立300年に合わせて建て替えをしたいと総代さんに相談してから、数日後、女房から『どうにも体がつらいので病院に連れて行ってほしい』と言われて、検査したら即入院となりました。がんが進行していました。
総代さんとは『本堂の話はいったんやめるか』となったのですが、女房から『自分の病気のせいで建て替えを遅らせるのだけはやめてほしい。私の願いとしてやってください』と言われ、2年前の春に新しい本堂が完成しました。完成を祝う落慶法要を見届けて、年末に亡くなりました。
家で看取りをしました。コロナ禍で、入院すると面会できなくなってしまう時期でしたが、一緒にいられました」

建て替えられた本堂

――つらい経験でしたね。

「同じ年の秋に、同居していた女房の母親も亡くなりました。
近い人が逝くというのはこんなに寂しいものかと身に沁みて感じました。これが年配の方なら、自分よりもっと長く一緒に暮らしてからのお別れでしょうから、とんでもない悲しみですよね。
お坊さんとして、ご家族を亡くした方たちにお話する機会は多いのですが、通り一遍ではなかったか、軽くはなかったか、と振り返りました」

――悲しいお別れを乗り越えられていたんですね。

「私は子どもが4人いますが、全員、家を出ているので、今は一人でお寺を守っています。若いころはお寺とまったく接点はなくて、法事があるとなにか理由を付けて逃げていたような自分が、こうしてお寺を継いでいるんですから、人生は分からないですね。すごいご縁ですよ」

また人や情報が集まる場に

――今後、どんなお寺にしていきたいですか。

「昔、お寺は情報が集まる場だったんです。またそんなふうに街の中心になりたいですね。椅子を置いたり、あずまやを造ったりしたら、みなさんが集まってお話をされる場ができるかなあとか考えます。コミュニティーがつくれたらいいなあと思います。
最近では、先祖代々とかいう概念を重荷に感じながらも、供養はしなければ、と思っている方が多いのではないでしょうか。お墓を持ったら檀家にならなければいけないとか、永代にわたって管理しなければならないとか、そういうハードルをお寺が下げれば、みんなの心に届くんじゃないかと思っています」

最勝院の説明書き(左)と山門(右)

寺名:一行山 最勝院
宗派:浄土宗
住所:愛知県新城市字屋敷28


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

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