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2020 出雲一人旅#4「習わし」と「ご利益」

出雲2日目は、早朝から出雲大社(いづもおおやしろ)に参拝しました。
出雲大社のように有名な神社には、早朝に参拝するのがおススメです。

観光客がたくさん参拝する神社は、朝日によって清浄になった境内が、多くの人が持ち込む「穢れ」によって、穢れていきます。神様や眷属たちは「穢れ」を嫌います。神様を身近に感じるためにも、清浄な状態のときに参拝する方が良いでしょう。

連休明けの早朝で、神迎祭はこの日の夜なので、参拝客が少ないことを予想していましたが、予想に反して参拝客が多く、静かに参拝するのは難しそうでした。

本殿裏の「素鵞社(そがのやしろ)」に参拝すると、多くの方が「砂」を持ち帰っていました。稲佐の浜から砂を持ってきて、こちらの砂をいただくのが、ご利益のある参拝だとテレビなどで紹介していたので、多くの方がその「習わし」を実行されています。

でも、、、

その「習わし」を実行することに一生懸命で、神様へのご挨拶がちゃんとできていなかったり、社殿の裏にある磐座がパワースポットなのに興味が無さそうだったり、と「もったいない」参拝をしている方が多いのです。

ご利益があるといわれる「砂」が欲しいという気持ちは分かりますが、サムハラ神社の指輪や、三峯神社の白い気守りを手に入れるために並ぶ人たちと同じで、本質的なことが分かっていないように思います。わざわざ足を運んで、神社に参拝しているのに、神様とのご縁をいただくことよりも、アイテムを手に入れることが主目的になっているのです。

本末転倒と言わざるを得ません。

稲佐の浜から砂を持ってくることが、「ご利益をいただくための手順」のように考えている方が多いように見受けられましたが、砂を持っていくのは、次の人のためです。皆が砂をもらうだけでは、すぐに無くなってしまうので、自分が持って帰る量の砂を持参して、交換するのです。

「習わし」として伝わっていることには、もちろん意味があります。しかし、「習わし」の意味や本質を理解せずに実行することはお勧めしません。「何のために」その「習わし」をするのか、ということを知るのは大事なことです。人によっては、マイナスに作用する可能性もあります。

このブログの「出雲一人旅」のシリーズでは、私が気になったことを、お伝えしています。一つひとつは大きなことではありませんが、総合して考えると大きなメッセージであるように感じています。

このシリーズは、もう少し続きますので、あなたも、そのメッセージについて考えてみてください。

いつもありがとうございます。
見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口 哲也


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