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中止の手柄は見えないもの

緊急事態宣言が6月20日まで再度延長されたことで、無理やり東京オリンピック2020を開催としている、という文脈のメディアニュースが多くみられます。

加えて5/26のオリンピックのオフィシャルスポンサーである朝日新聞の社説で、東京オリンピック2020の中止を訴える、ということも多く報じられています。

また私も下記高橋洋一前内閣参与と同じような見立てですが、緊急事態宣言とオリンピックを連携させてみている方も多いですが、多分そんなことはないのでしょう、と。(高橋洋一さんの言葉で言えば『気合い』という言葉みたいですが)

そしてアメリカからの日本への渡航禁止も加わって危ない、という報道もありますが、それも下記動画と同じように、現時点ではオリンピックと直接的な関係では今時点ではないだろうと思います。

そしてここで一つ、私の記憶にもある東京で行われるはずだった、大型イベント中止の話を簡単に。それは1996年に東京お台場を中心に開催される予定であった『世界都市博』です。(詳細は下記リンクをご確認ください。)

選挙公約に都市博中止を掲げた青島都知事は支持を大きく集め、鈴木前都知事の後任である石原候補を破り、1995年4月に当選します。で同年5月末までに結論を出さないといけなくなり、青島都知事は悩んだ結果、公約通り『中止』としました。発表後、様々なことがありましたが、総じて政治家として青島都知事は人気をずっと繋ぎ止められたわけではなく、メディアも興味をなくし、任期1期のみの都知事となりました。そして晩年彼の『公約達成』は大きな功績!など言われることなく、殆どの人が覚えていない事実、ぐらいなものです。

その世界都市博の経験を踏まえ、今回の東京オリンピック2020に話を戻すと、現段階から例え小池都知事がオリンピック中止(というかIOCとの開催都市契約の放棄)を発表したら、支持者は大きく称賛するでしょうか。彼女の偉大な功績としてレガシーになるでしょうか。私が思うに、中止をしたらしたで多くの批判(遅くすぎだ、こんなに準備してきたのに)に晒されるのみで、彼女の政治生命の汚点になる可能性大でしょう。

加えて我々大衆はやはり想像力が高くないです。もしオリンピック中止となると、開催されていれば見れた『感動のシーン』や『トップアスリートの人生をかけた争い』、その共同体験が経験できない、訳です。そして共同体験がないと、民主主義の中では、投票行動へ変化を及ぼすほどの影響とはなりにくいでしょう。

本当に東京オリンピック2020を中止にもっていきたい勢力もいるでしょうが、それが実行されるには現時点では、都知事への手土産が余りにも少ないと感じます。やはりワールドカップサッカー2002、ラグビーワールドカップ2019のように、スポーツを介した共同体験を通じて、最終的な世論の『オリンピックやってよかったじゃん』という”支持”へ転換する確率にかけるほうが、都知事にとって無難な決断だと私は思います。






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