見出し画像

【#20】難病と今も闘うブログです〜

皆さんこんにちは〜!やすとみです。

今回は集中治療室から個室部屋に移ってからの地獄を書きたいと思います。

個室に移った私は看護師から自立するよう促されます。
そもそも自分のことは自分でするタイプなので理解したつもりでしたが、体が手術前のように動かない。

カチカチと機械音が鳴る心臓音。
胸を開いていたので閉じるために巻いているサポーター。
長時間胸を開いてた事による背筋の激痛。
何と言っても肺活量が下がったことによる息苦しさ。
それと術後の後遺症による視力の低下。

これらの中で当時一番辛かったのは肺活量の低下でしたね。
長時間にわたり胸を開いていたため、肺の血液がカピカピに乾き、元の肺活量に戻るには数ヶ月かかりました。
で、苦労したのは食事です。
初めは普通のご飯を食べたのですが、ご飯が喉を通らない。と言うのは、普通にご飯を食べるとき、口にご飯を入れて鼻で息を吸って食べると思っていました。でも、少し違ったのです。
人はある程度の空気が肺に貯まっていて、その前提で活動しているんです。いきなり息を止めても肺に空気が貯まっているので、ある程度は止められますよね。
何が言いたいかと言いますと、この肺に空気が貯まっていることで、口にご飯を入れても食べられる。ちょうど息を止めた状態でも数分耐えられるのと同じなんです。
なので普段は気にせずとも肺に空気が貯まっているから、ご飯を美味しく食べられる。
でも、術後の私はそうでなかった。肺に空気が全く貯まってなかったんです。肺活量が低下しているので鼻で息をする。口で空気を入れると肺が痛い。バキバキ音が鳴る。肺はリハビリに入ってなかったので、少しずつ空気を入れていきましたが、当初は理解しておらず肺に絶対的な空気量が足らないため、絶えず鼻で息をしてご飯を食べる。鼻から息をしても空気を貯められないので、鼻から息を吸い続けるしかない。
少しでも肺に空気を入れたいが、ご飯で口が塞がっている状態。
なので、本当に地獄のようでした。
これを切っ掛けにして、ご飯からお粥に変えて、普段から肺に空気を入れるために肺呼吸をするようにしました。

そうこうしてるうちに3月11日を迎えます。
そうです。
東日本大震災です。

覚えているのは、あの大きな病院が大きく揺れたってことです。
その時、私はベットの上だったので逃げることも出来ず、運命を受け入れようと思いました。
また病院の閉じた世界にいたので、当時の状況は分かりませんが、新聞やテレビで見る限り、東日本で大変な災害が起きたと言うのは分かりました。

その後、テレビは災害の報道一辺倒でしたが、私はリハビリに向けて少しずつ進んでいきます。

今回はこの辺りで。また次回!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?