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楽譜のお勉強【56】ハンス・ツェンダー『連祷』

さる2022年7月28日、フルーティストの木ノ脇道元さんの独演コンサート・シリーズ「どーげんをプロデュース」の第2回が開催され、私がプログラム構成を依頼されました。私自身の新作を含む演奏会でしたが、予想以上に多くのお客様におでかけいただき、とても嬉しかったです。テーマとしてドイツの現代音楽シーンの巨匠として尊敬されながらも2019年に亡くなった作曲家ハンス・ツェンダー(Hans Zender, 1936-2019)の作品を2曲取り上げました。私のnoteで曲目について対談を行ってきましたので、記事の最後にリンクを貼っておきます。

ツェンダーは指揮者として有名で、特にシェルシとフェルドマン作品の解釈に定評があり、多くの録音も残されています。作曲家としても多岐にわたる作品を残し、特に長大なシリーズを長年かけて作曲することでも知られていました。代表的な連作には『カント(歌)』(9作)、『ヘルダーリンを読む』(5作)、『洛書』(7作)、『書(カリグラフィー)』(5作)などがあります。また、「洛書」や「書」などからも分かるように、東洋文化や東洋思想に影響を受けた音楽を好んで作曲しており、『5つの俳句』、『無字の経』、『一声の経』などが有名です。彼の作曲家としての業績の中でおそらく最も知られたのはシューベルトの『冬の旅』のラージ・アンサンブル用の編曲です。この作品を彼は「作曲を通じた解釈」と呼んでいて、指揮者としての楽譜の読み込みの奥行きが感じられる内容になっています。他の作曲家の作品をモチーフにした作品として、他にハイドンやシューマンをテーマにした作品を残しています。

ツェンダーの作品は日本でよく取り上げられてきたわけではありません。実際に演奏会で取り上げられた2曲のうち、1つは1980年代に書かれた作品であるにもかかわらず、今回が日本初演のようでした(JASRACに演奏記録がなかったということ)。ドイツではとても頻繁に大きな編成の作品を聴く機会があったので、まさに巨匠という貫禄だったのですが。演奏会で『月の書(洛書 II)』などを初めて聞いたお客さまの中には、フルートのさまざまな奏法からあらゆるニュアンスを引き出す徹底した筆致に改めて驚きを覚えた方も多くいらっしゃいました。そこで今回の「楽譜のお勉強」では私が好きなツェンダーの作品を一つご紹介いたします。

3つのチェロのための『連祷』(»Litanei« für 3 Celli, 1976)は様々な特殊奏法を駆使した作品で、調弦、記譜、奏法、アンサンブルの方法、どれを取っても伝統的なものがありません。私の「楽譜のお勉強」シリーズ記事ではまだ私がじっくり読んだことのない楽譜をサラリと読んだ感想を述べる記事ですが、実は『連祷』は過去にじっくり読んでいます。あらゆるアイディアが見事に音楽に帰依していて、これは勉強になると思い、私がケルン音楽舞踊大学で「現代の管弦楽法」という授業を受け持っていたときに、編曲課題として出したりもしました。まず調律が不思議で、900ヘルツというとても高く調律された「ラ」の音から割り出す方式です。その半分の450ヘルツを第1弦とし、下へ300ヘルツ、175ヘルツ、125ヘルツと調弦していきます。全ての音が通常の調弦と異なっていますが、記譜上第4弦からH - F (およそ1/4低い) - D - Aと記譜されることになります。

楽譜は2段の演奏用楽譜が46行あります。2段は、声部分けされておらず、3人のチェリスト全員が同じ楽譜を上下段とも弾きます。ただし、完全にユニゾンなのは冒頭だけです(後述)。各行は大体20から22秒程度とされていて、それぞれの行をゆっくりした大きなボウイングで弾きます。行は上げ弓で開始され、楽譜の真ん中あたりで下げ弓に切り替えます。ただし、行によっては頻繁な弓の返しが指示されている場合もあります。この内容は2段の楽譜の下段に記譜されており、曲の持続を保証します。上段には短い断片的な楽想が書かれており、第1、第2奏者は各行の演奏開始後3、4秒後に上段の音楽を演奏します。下段を途切れさせる必要がない奏法の場合は下段の持続音、もしくはグリッサンドを演奏し続けますが、無理はせず、上段の音楽に集中するよう指示があります。代わりに第3奏者は持続が途切れないように下段を弾き続けます。上段も弾くのですが、それは第1、第2奏者が上段の音楽を弾き終わってロングトーンを伸ばしていて余裕があるときに弾くにとどめます。

以上のことから、曲はゆったり変容する持続音のベースの上にリズム的に自由なカノンが乗っている構造になっています。特殊な奏法は伝統的なものが多く、楽器を傷めるタイプの斬新なものはありませんが、調弦の独特さと合わせて、とても不思議な歪みを感じる音響を持った音楽になっています。ツェンダーの音楽は、厳密に規定して書かれたものもありますが、割と演奏解釈の自由度の高い作品が多いのです。『連祷』は演奏に20分近くを要することからも、ツェンダーの想像した音楽のスケールの大きさを感じます。長年にわたり連作を書き続けるという作曲姿勢も、このような指向に由来していると思われます。演奏会で聞くにはなかなか入念な準備が必要な曲が多く、これから日本で頻繁に聞くことができるようになるかどうかは分かりませんが、折に触れて振り返って勉強したい作曲家です。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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