見出し画像

シャッターを押すと、それは「告白」。

親父ハゲムの食糧を調達すること。

そのために庭に畑をつくること。
納屋を写真スタジオにしたいだの、泊まれる小屋を作りたいだの
色々夢は広がるが、

まずは、食糧を調達すること。
つまり、自給自足できるようにするということ。

その次には、水道・電気・ガスのライフラインの整備する。
今は、何も通っていない。


親父ハゲムには、

役場にいって、生活保護、その他使えそうな補助金を
聞きにいくこと。

それが駄目なら、ライフラインが通った住宅を供給してもらえる
制度がないか聞くこと。

ネットで調べると、
バリアフリー化するための補助金がでている。それをなんとか利用するしかない。
バリアフリー化もなにもこの家には、
電気、水道、電気も通っていない。

そこに親父ハゲムは住んでいるんだ。

正真正銘のキャンパーだろう。
なんかもう、笑えてくる、笑うしかない。

役場にいって、生活保護、その他使えそうな補助金を
聞きにいくこと。

それが駄目なら、ライフラインが通った住宅を供給してもらえる
制度がないか聞くこと。

5回は伝えた。何回も。

この2つを次回、ぼくが訪ねるまで
やってほしいと伝えた。
今まで、何度か伝えてきたことだけど、やってくれた試しがない。
さて今回はどうだろうか。

もしやってくれたら「伝わった」ということになる。

丹波のボロ家の「実家」に着いたとき、ハゲムは不在だった。

数時間か経って、ポリタンクをコロコロに乗せた老人・親父ハゲムが
現れた。

現れたときは、笑顔だった。

「ちょっとこっちに来て、話があるんや」。ハゲムは正真正銘の大阪人なので大阪弁。
「いやー、話があるのは、こちらだけど」と内心思いながら近づいていく。


ひとしきり、今後の計画を話てくれたが、実現性が低いものばかりだが、
僕がコロナ禍で仕事が全てキャンセルになっていることを手紙に書いていたので、お金をくれるらしいことを言ってくる。

「あほちゃうか。それでも俺の方が持っているわ」


お金のことなので、ここからはあまり書けないが、
今思うとその気持ちは嬉しかった。

そのときは「またしょーもないことを言っとる」だったのだが。


先日送った手紙に「庭を畑にしにいく」と書いていたからか、すでに少し砂利はどけてあって、草が生えていない箇所があった。ハゲムはひとり庭の雑草を引いていたのだ。
つまるところ、僕を待っていたことになる。

「5月中には砂利を畑にし、種を植えるで。夏には野菜が食べたれるようにしよ」

で、じょれんと鍬で砂利を掻き出し、黒い土が出てくるまで掘る。
そんなに骨の折れる作業ではないと分かって、
「これはできる」と安心した。


少し休憩した時に、フィルムカメラとデジタルカメラの両方で親父に
「撮らしてくれ」と言ったら、自然にカメラ目線になった。

「これ前にもあったなのこの光景」と思いながらシャッターをたくさん押した。

親父ハゲムのポートレート、納屋のあれた姿、すぐに36枚撮りのフィルムはなくなった。


兄サトシを病院を訪ねて撮影した時と同じ感覚。それから兄が「今日は写真を撮らないのか」と言ってきたその場面と同じ感覚。

「笑顔も撮ろうか」と言ったら
歯を見せながら、笑った。


この日は本当に不思議で、いつも親父と喋ると、
イライラしたり感情的になるのに、

なぜか。

落ち着いて話せた。これはなぜなんだろう。

また、1週間後の5月16日(土)に兵庫県丹波のハゲムの住む「実家」に
また、足を運ぼうと思っている。

庭に敷き詰められた砂利をまず取らないと
野菜は植えれない。

なんとしても5月中には野菜を植えたい。
そうすると夏には収穫できるから。

一気にやりたいけど。

一つずつ。

一つずつ。

この作業は今はわからないけど、
僕に大切なことを知らしてくれる予感がある。


つづく。

サポートいただけたら、「サトシとヤスシ」写真展の準備や取材の費用に使う予定です。