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渡邊真里評 劉慈欣『老神介護』『流浪地球』(大森望/古市雅子訳、KADOKAWA)

評者◆渡邊真里
エンターテインメントかつシミュレーションとしてのSF――壮大な時間スケールとミクロとマクロの視点で様々な世界の追体験へといざなう
大森望/古市雅子 訳
劉慈欣 著、大森望/古市雅子 訳
KADOKAWA
流浪地球
劉慈欣 著、大森望/古市雅子 訳
KADOKAWA
No.3566 ・ 2022年11月12日

■長編SF『三体』の著者、劉慈欣による短編集であり、邦訳された短編集としては『円 劉慈欣短篇集』に続く二作目。主に二〇〇〇年代に発表された作品十一編が、この二冊に分割されて収録された。
『流浪地球』の表題作では、人類は地球に設置したエンジンを推進力に、地球ごと太陽系を脱出。およそ二五〇〇年かけて別の星系に移住する悠久の旅の一幕が、語り手の人生を通して語られる。「呑食者」では宇宙からの”呑食者”に捕食されまいとして、人類は背水の陣で宇宙戦争に挑む。トカゲのような姿をした巨大で重鈍な呑食者は、横暴ではあるがどこか憎めない。こうした違和感を絡めた序盤のささいな疑問は、終盤で一気に氷解。善悪だけでは割り切れない捕食と被食の関係を考えさせられる。「呪い5.0」は、かつての恋人を呪うために作成されたコンピュータウイルスが、その邪悪さと呪う対象を次々と”バージョンアップ”させていく様をコミカルに描いた異色の短編。「山」では過去の罪悪感から山に登れなくなった男が、九〇〇〇メートルを超える海面の”山”に登頂。そこで人類とはまったく異なる環境で生まれた異星人の、進化の過程を知ることになる。計六編が収録された本書は、訳者の言葉を借りれば宇宙編と言える。
 これに対して地球編とも呼べる『老神介護』には計五編が収録。生活を完全に機械に依存したがゆえに技術を忘れて老年期に入った老神を、人類が扶養する話が表題作。神が神たる所以にはユーモアがありつつ、アイロニーも効いている。「扶養人類」は表題作の続編。神が地球の前に創造した文明は、科学技術と教育によって格差が極限まで助長され、這いあがる手段が絶たれたディストピアだった。描写は極端だが、リアルな生々しさを感じる読者もいるかもしれない。「白亜紀往事」の舞台は、かつて恐竜と蟻が核をも保有する高い技術力を持って共存していた、白亜紀後期。恐竜の支配欲が蟻との分断を招き、恐竜帝国が自らの技術によって次々と崩壊していく様は滑稽だが、現状を思えば、私たちも笑ってばかりはいられない。「地球大砲」は、過去の画期的な発明が結果的に経済と環境を荒廃させ、市井の人々を苦しめることになる科学者の物語。地球貫通トンネルを砲身に見立てるというアイデアに、著者のセンスが詰まっている。情緒的な「彼女の眼を連れて」とのゆるやかなつながりが、あたたかな読後感を残す。
「壮大な時間スケール」や「ミクロとマクロの視点」は著者の別の作品でもよく述べられる特徴であるが、著者は本書でもこの時間スケールと視点を軽々と操り、読者をさまざまな世界の追体験へといざなう。作品はそれぞれ独立しているが、ゆるやかなつながりがある作品は同じ巻にまとまっているため、一冊だけを読んでも楽しめる。だが「科学技術が人類を前進させる」という前向きな信念がはっきりと感じられる『流浪地球』に対して、『老神介護』ではその犠牲となる生命や世界など、前者では仔細に語られることのない私たちの潜在的な、あるいはすでに現実となった不安に真っ向から切り込んだ作品が主となる。その意味で、両書は補完関係にあると言えるかもしれない。科学技術はときに世界を危険にさらし、愚かに扱うことで世界を崩壊すらさせる。だからと言って、その歩みを止めることは不可能だ。「地球大砲」の科学者は言う。「そんなことをしたら〔……〕人類文明が滅亡してしまう」。相手はこう返す。「それもしかたないことだと多くの人々が考えました。しかし、べつの道を探し求める人々もいました。もっとも有望だったのは、地球上の工業を宇宙や月に移転するという方法です」。こうした「人類未踏の空間」にたどり着くまでの思考実験を、著者は科学技術や制度、それらを行使する者の道徳心にいたるまで、素材を替えては小説という形で何度も繰り返す。そこから感じられるのは、ある試みは失敗に終わるかもしれないが、人類はその失敗を踏み台にして進むことができるという著者のメッセージだ。「時間はかぎりないんだ。どんなことでも起こる可能性がある。どんなことでも」――その可能性を、目を見張るようなエンターテインメントとして、だがそれだけに留まらず、人類に起こり得る問題のシミュレーションとしても提供してくれるのが、この二冊の短編集だ。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3566 ・ 2022年11月12日(土)に掲載。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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