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世界は粒子ですかぁ❓

【エッセイ】あまりに観念的



本を読んでいたら『おや?』と思う部分があった。

昔、光の本質をニュートンは粒子だといい、フィゲンスは波動だと主張した。最近になってルイ・ド・ブローイーが波動、粒子の二つの性質を兼ね備えていると説明してけりがついたが、これを借りて文学を分類すると、文学には波動型のものと粒子型のものとあるといえる。作品にも、作者にもそれはあてはまる。

粒子型というのは、芥川龍之介の使っている「詩」という言葉のわかる人、つまり直観そのものがわかる人である。熱にたとえれば対流、伝導、輻射のうちの輻射である。離れているのに熱い、そんな心のやりとりのできる人のことである。一般的にいえば俳句は粒子型、短歌は波動型といえる。

そしてこの分類にあてはめてみれば、佐藤さんは波動型、吉川さんは明らかに粒子型である。その点が私の大好きな芥川と共通しているので、吉川さんとよくしゃべっていたのだろうと思う。

春宵十話 岡潔/著

なんかさ〜、わかるよ。
『波動型』とか言われてもピンとこないもん。

世界は粒子です。
私も詩とかの題材に何度か無意識に粒子を出しましたが、今自覚を深めました。

粒子により空間が変容しています。風もお風呂も大人数が居る場所も皆、粒子云々なのです。

オカルトやスピリチュアルに対する理解は私にありませんが、感覚として、粒子の濃度としてなら少しわかりまし。

街を歩くと疲れます。いわゆる『人酔い』ですね。

🔺だいぶ前にこんな記事も書きました。
まあ岡潔氏の言う粒子と私のとで解釈に違いがあるでしょうが、無視します。

街中には『意図/目的』という名の粒子が溢れています。仮に、人数はそのままで全員が座って自分の事に集中してる街なら、私は酔わないでしょう。

人がどんどんぶつかってきそうになるでしょう❓
その『意図』なる粒子を避ける事に意識を注ぐソレ自体がしんどいのです。

引用の部分に『離れていても心のやりとりができる』みたいに書かれています。
つまり【良くも悪くも】なのです。

自然には『意図』がありません。どのようにでも感じる事ができます。
対して人の『意図』は解釈の幅が狭いのでし。強い目的意志を持つ人は、比例し粒子の濃度が濃く、触発もあれば疲弊もあります。

それが街中という大人数なら❓ 説明は不用ですね。

私はとことんまで『ひとり』になりたいのです。でも社会の中の子猫ですから無理ですした。でも欲しいです。

望む理想像は『他人にあまり関心がない空気(いい意味)みたいな人』ですかね。
こういう人なら苦じゃないです。

対して、常にせわしない人は殺意さえ抱きます。50年前のハッピーターンの粉みたいな粒子です。耐え難い。

文化祭の準備とかも耐え難いですね。ナニヤッテタッケ……

よし、頭が回らなくなってきたので終わります。

天気がいいと、気分がいいですね。



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それにしても岡潔氏は柔らかくて安心しますね。
仏教への理解もあるようで、『個』を重視しない所に好感を抱きます。

彼が褒め称える吉川英治の本も、近いうちに読みたいですね。

これだから読書ってぇのはやめられねぇんだ。この『関連性の継ぎ足し』みたいな繰り返しが、私のスタイルだ。

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