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『にわか』と私とアニメと読書

【エッセイでし】ver.1.59
今日はいつも以上に話題の前後がヒドイ❎

私はアニメを殆ど見ない。だから語れない。
今リンクを貼った『ラーゼフォン』も、勿論見ていない。
小さい頃、『あらいぐまラスカル』を欠かさず見ていた。スターリングとラスカルのお別れのシーンで当然涙した。

『小公女』『赤毛のアン』『少女ポリアンナ』も読んだ。語り継がれる名作には、ワケがある。だが、あくまでソレはエッセンス。具体的に、仔細に述べようとすると陳腐になる。
自分の中の『普遍という名の琴線』に触れれば、それで充分だ。

世の中『にわか』に対する厳しい目が常にある。よくわかってないのに語るな、ハシャぐなって、暗に働きかける。

好きならそれでええじゃん❗️

『我々こそが作品の真髄を解する選ばれし者だ❗️』
……なぁんて、肩肘ビシっとしなくてもさ。別にええじゃんねぇ? それにさ、人が作ったモンを理解できるからそれが何❓ って思います。

【好き】が湧いて【琴線ピローん♫】ができたなら、ええよもう。
そこに優劣なんてないよ。
『理解できたから偉い』
じゃなくて
『なんか感じ取れたからよかった☀️』
ぐらいで終わらせとけ。
【理解した】という状態を、厳密に誰か説明できるか❓ 頭の中にチェックシートでもあるのかね。

✏️☑️☑️☑️

……ああでも、『背伸び、知ったかぶりするにわか』とか『その上で作品を利用し小銭を稼ごうとするヤツ』とかは嫌かもな。



逸れに逸れたな。
でねぇ、『ラーゼフォン』のOPの『ヘミソフィア』がすごい好きって話をしたかったんだ。

(逸)あとさ、制作側も『私が作品に込めたメッセージが伝わらなかった……嘆き悲しみ』とか思わんでいいと思う。胸張って受け手に委ねとけ。ほんで、同じテーマでまたやりたきゃ、やりゃいいさ。

ああえっと……OPしか知らない私は『にわか』以前の問題だ。私はこの辺がドライ? なのかな。
たとえば、たまたま聴いた曲を気に入って、そのアーティストの別の曲を聞いたり、人物像を知ろうとしたりって方向に興味が湧かない。
『作品は作品だ。そこに前提はいらない❗️』って姿勢です。

『この映画は特定の社会思想と時代の趨勢的なのを表した資料的でもあり独自性もあり感嘆に値する映画らしいから見よっと❗️』
……ってな、ややこしい思考はしたくない。

『今の時代の更に今の私が今の感覚を持ってして見る』
ぐらいでいい。じゃないと、『得る為』というワケのわからん姿勢になるからだ。
『○○らしいから見て、○○を得るぞっ❗️』
って感覚、ダルくない? 疲れるわ。

――脱線。
だから私はこの先も『ラーゼフォン』を見ないだろう。
曲を聴いて、何かしら想起して、満たされる。
めでたしめでたし。

あ、だからネットでたまに見る『履修』という表現が嫌いです。履修せねば……なんてどんな思い込みやら強迫観念だ。好きに楽しめねぇの❓
『好き』ならゼッタイ『履修』なんて表現しないから。その履修された作品に失礼すぎるしな。

こんな性格だから読書が好きなのです。気になったら読む。読み終えたら、ハァとため息ついて閉じる……シンプルだ。

イメージも好き放題できる。
誰とも一致をみせない私だけの宝物。
キラキラおもちゃ箱を、今日もたくさん満たすのだ❗️

【追記】
みんな『人生』のにわかだ。
安心すべし。

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