絵はどーしんです。
岡潔氏の本に、自分が数学の研究に没頭している時は童心にかえっていると表現されていた。
少し前、YouTubeでイラストの動画を物色していた時、やたらに攻撃的なサムネイルが目についた。
初心者がやりがちな失敗○○選‼️
初心者はコレを気をつけろ‼️
ふーん……
…………
うるせぇよ‼️‼️
更には、自分は有名であり、日々アンチコメントが寄せられるが『実力』でねじ伏せているのでノーダメージであり、高みの見物をするのが気持ちいいというイラストレーターも居た。
どうしようもねぇ世界に生きてんな
って思いました。
たとえばさ、そんな否定的な物言いをするヤツの高説を聞きながら自分の『実力?』が向上したとして嬉しいワケ❓
アレもダメ、コレもダメってプロに言われて窮屈にならないのかな❓
🔔『この人は否定を否定している事に気がついていないみたいです』
【思考消滅】話題変更
絵も文章もそうだが、『手ぐせ』の恐ろしさを身をもって知っている人は多いだろう。
脳みそのヤローはとにかくラクをしたがる。『ハイハイ、これはこんなカンジでしょ〜❓』と、つまらぬ自動運転を始める。
本当に気をつけないと、手ぐせという繰り返しの中で内容を足したり変形させたりしてるだけで、この状態は……完全にマイナスとは言い切れないか。手を腐らせない必要最低条件は満たせると思う。
『ただ、楽しむ』のやり方は永遠の課題だ。だが、多少なり感覚としてノウハウは構築された。
ドライヴする
って感覚だ。
たとえば『心配ごとがあるが、心配ごとに意識を向けずに創作したい』◀︎これは個人的に❌
ならやるべき事は、『ちゃんと心配ごとを抱えたまま、乗っかるように創作する』だ。
心配でソワソワすんのなら、どうぞ実際にソワソワしながらやっちゃえよ――みたいな。
イライラすんのなら、引きちぎれる程の憎悪でもぶつけてみろ。遠慮はいらない、創作だから。
『この心配ごとが去ったら創作に取り掛かろう』って姿勢はへっぴり腰です。
多分当分か一生創作しません
童心とは【無条件】だと思う。
やっぱりいくら考えても趣味や創作は『無条件で前提ナシ』でやらなきゃなぁ。
それを『○○の為に○○せねば……』という思考に陥ったら楽しくないんだよなぁ。やりたいならさっさとやる。やりたくなけりゃ放り出す。おわり。
心配ごとだろうがなんだろうが、『あるものはしょうがねぇ‼️』と、意識すらせずに割り切る状態。私もそれだけは日々意識している。
【おまけ】
先日描いたこの絵を家族に見せたら
『おぉ、かわいい……けど怖い……髪は❓』
などという丁度いい評価をいただきました。
これは私も不思議だったのですが、髪を描き足そうとすると全てが台無しになるように思えたのです。あと眉毛も不必要に感じました。
今のところ絵は『引き算と調和と全体』かなって思います。好きな要素をバンバン足すってのは違う気がする。
本にこんなエピソードがあった。
『白い布の上に卵を置きじっと見つめ、対象が虹色に輝くまで筆をとってはならない』
みたいな。なんかわかる〜。
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