【読書感想】堕落論﹡˖˟༝🎀˖˟ ༝˖˟
この本を読みながら私は、足元が崩れ去る錯覚を見た。堕落を避けられないなら、どこを向いていればいい?
莫大な資本を得る、誰もが知る有名人になる、温かい家庭を築く、夢を叶える――それらの先、いや、現時点ですらもれなく堕落が待ち構えているなら、私はこの重い鎖の束の冷たい感触を肌で味わうしかないのか。
人は、人の手ではどうしようもないモノに幾らでも直面してきた。何百人集めても動かせない岩に対し重機を開発し、大量生産の機械、効率よく人を殺す兵器、羊を囲う為の柵。
似たような事をいつか書いたが、人類は『永劫なる発展』に対しどこかで見切りをつけ、残り少ないツマミで酒をちびちびやろうって方法に変えた。持続可能な酩酊状態、これぞ堕落だ。
でも高度経済成長期には皆が雁首揃えて未来への展望に思いを馳せていた。革命と躍進と精神の高揚が生きている実感を与えてくれる。あと金。
最近の世界ってのは、元々がアホの人間を、更に愚鈍にしようと切磋琢磨している。『気を逸らす』為のコンテンツに溢れている。反抗する者も居るが、堕落を望む圧倒的多数の他者を前に手が止まる。同じアホなら……いや、でも……
皆が同一の方向を見ないよう『仕向けられて』いる? あるいは、元々……あるいは歴史が。
『夢』や『希望』を燃料にして、あの夕日に向かって走るか? ああ、沈んでしまう。間に合わなかった。サル山の大将も嘆いてら。全く最近の配下共は、下ばっか向いてちっとも喋りゃしねェ――ってな。
ま、そうさせられてるとしたら、仕方ない。
暗いな、世界ってのは。輝かしい人生を歩む人は、家に帰ってケツ拭いてる時も輝いてんのかね?
いーや、違うね。どこかで覆いかぶさる暗幕の影を意識する。追いつかれない為には、崇高なる精神で進み続けなきゃならない。落日を目に焼き付けながら。
大将『そっぽを向くのはやめようぜ』
一緒に泥の中を這おう。え? もうにっちもさっちも……そうか。
おてて繋ぐか? って沈んじまったか。さいなら、私もすぐに行く……あのボートは良さそうだな。なになに、一回10万か。やめとくよ。
↑これは途上国のうわついた雰囲気と同じモノを感じた。なんというか、『人間は人間である』と了承した上で生活しているように思ったのだ(タイに行った時ね)。
でもまぁ❗️
坂口安吾には同意できないな。あれは作者のフィルターを通して感じた体験だ。『偉大な破壊』が私の心に何をもたらすか。
まず、自然が破壊されるのを望まない。山火事を見る度に胸が締め付けられ、その炎の下に宿る幾多の生命に対し心の中で涙する。同時に、生命の強かさも知っている。
しかし、『自然破壊』の定義はあくまで人間目線。それに人間だって自然の一部だ。動植物からすりゃあ、自然なんて『ただ在る』だけ。破壊も再生もない。そのような超然とした思いを坂口安吾は抱いたのだろうか。どうだか。社会システムに辟易でもしてたのかもしれないし。
まあ望まないっつっても『起きてしまった』時の話だよな……そうだな、普通に、自分の事で精一杯かなぁやっぱり。ウチが2週間断水した時もそうだった。
ただ単に通常の生活と似たようなモノを再現するのでやっと。人もクソもない独善状態。つまらない人間だよな。生活があるから『自由』にできるってんなら、そりゃ『生活』を欲するよな。
だから私と坂口安吾は、この点でも同じ気持ちになれない。でも全ては憶測だ。
いつか起きるかもしれない『大破壊』に備え、今の気持ちを保存しておこう。私は瓦礫の山を前にし、何を思う?
『破壊』は望まないが、別のイメージとして『壁』がある。取っ掛かりも何も無い巨大な壁を目前にし、ただ茫然自失。
その内誰かが堕ちてくる。どうする? 一緒に嘆き悲しむか? この堕落の坩堝で雨水でも飲んで生きながらえよう。
おっと、そりゃ私の水だ。
OK、ルールを作ろう。まず、『武士道』とはなんたる……――
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