私はどんな言葉を探している?

私は最近文句ばっかの見苦しい記事を書いています。

文句が湧くような内容を書くのが悪いのでし❤️

反対に、反論の余地のないような記事は身体にスッと入ってきて逆に忘れられます。知識の血肉となり消化され、次回からの思考に自然と活かされるからでし。

文句が湧く記事は老廃物のように身体に留まります。なので文句として排出しないと気になって仕方ありません。そして結果的に文句ばっかのマイページ。

『どんな意見でも認める懐の大きさを持って』とか言われたらムカつきます。認めてたまるか。

これは器が大きい小さいの問題じゃねぇんだ。純度だよ純度。濁った綺麗事なんて身体が受け付けないのは生まれつきなんだよこちとら。主語のでけぇもっともらしさで屈服させようなんざ、それこそ思慮の浅い人間がやること。

主語を大きくすんのは、自分がゴキブリ以下だって認めたくないからだ。やめとけ、他人のふんどしは汚ねぇぞ。

親や身の回りの人や教師の言葉は、今の私に根付いていない。
『お前なら概ね信頼する』っていう生きた現在進行形の他人は数少ない。思考の材料の大半は、やはり読書に由来する。

つまり他人のふんどしだ

またまた『自分軸』の文句でも言おっと❤️

私たちは、まず生まれます。
・元から日本語が用意されています
・親兄弟は日本語を喋ります
・法律、ルール、マナー、文化、風習もたくさん
・内輪の決めごともあります
・衣食住も割り振られています
・決められた歴史や教科を学びます
・資本主義が用意したオモチャで遊びます
・そんな様々から思考を構築します
・じゃあそれは『自分』の考え❓

私はわかんないのでし。
『自分』の考えってどれですか。どこまで遡れば?
それとも、皆が驚く発明でもすれば『自分が考えた』と胸を張っていいのですか?

私はたくさん本を読んだ。だが、どれだけ考えても『自分の考えとは何か』『そもそも自分とは』に答えを出せないし、頭がギュ〜ってなってわかんなくなりまし。

自分軸肯定派は、『イヤな事はイヤと言う。これが自分軸です』と鼻の穴を膨らませていた。
その『イヤと言う自分』はどのように形成された❓
過去の経験? 親の教え? 宗教的な? 生理的な? 感情的な? 損得勘定? イヤイヤ期?
……どれ❓

なんであんな、みんな自信満々なの?

いかにも自分が正しくて、素晴らしい事を言ってる雰囲気をまとえるの?

はぁ……頭痛い。コーヒーの飲み過ぎかな。

『自分軸』から出発した思考なら、人を殺してもいいのかい❓ ダメに決まってんだろ。

まあいい、少し虚しくなってきた。
さて、冷蔵庫にコーヒーはまだあったかな。


う〜ん、世界から受け取ったモノ以外で思考するなんて、はたして可能なのか。私にはどうしても……

つまり、『自分軸』の持ち主は『神』に等しいね。

私はゴキブリ以下だ。
『世界の一部軸』ぐらいの名刺しか作れなかった。
ああ、受け取らなくてかまわない。
キミには『イヤなことをイヤと言う権利』があるのだから。それじゃ、失礼。

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