誇張と自己陶酔の入り混じる詩は汚いです
そういう種類の詩を好んで書く人には予め中指を立てつつ謝罪するが、どうしても許せないから許してほしい。
誇張はきっと無自覚にされてるのだろう。そして【詩】という形式も助長の種になっている筈だ。創作だから、詩だから、ある意味でのフィクションだからと、どんどんつけ上がる。
【誇張】とは何か
言うまでもなく【ウソ】である
ウソの世界は麻薬だ。なんでも許される理想郷。抜け出す覚悟を持たなければ下らぬ陶酔に入り浸る。
……それとも、世界を誇張された夢で塗りたくるのがあるべき態度なのか。ウジウジした自己陶酔、悲劇のヒロインを私は是とみなし、自身の足元を見つめる。たったこれだけで済ますべきなのか。
詩に序列はない。シンプルに気持ち悪いから批判しているのだ。なぜ汚い文字の列ばかり私に見せるのか。なぜごく一部の限られた人しか自分の言葉で語れないのか。どうして詩がまとわりついてくるのか。それとも露悪趣味を持つ人ばかりが詩人となるのか。人は形式にふさわしい振る舞いを自動的にしてしまうのか。
詩人よ
なぜお前たちは汚れている
その繊細さを、部屋の隅の埃のカタマリを気にする為に使うのか。過去の出来事の脚色に使うのか。それとも使い古した絵筆で描いた泥のような絵を美しいと誤魔化すのか。世界には決まりきった色があるのか、ないのか、混ざっているのか……
つらい
眠たい
詩が、言葉が私を苦しめてくる。止め方がわからないと了承した上で24時間渦巻いて有り余る洗剤を投入しても排出される水は透明なのが理想です。ウソという汚れに塗れたキミたちに排水を頭からかぶる覚悟はありますか。飲めますか。飲んで排泄される水の色はどうですか。
私は同時に存在していたいのです。
詩を過去の記録媒体とみなした場合、意志は未来へと進むでしょう。そんな一過性のやり取り嫌です。私は私が書いたモノを常に同時に意識していたいのです。そこに時間の概念などありません。そして無作為に膨張する空間でもありません。
だから私は間違えても『あ、あぁ〜書いたっけね、そんな詩』なんて言いません。かつて書いたという事実を今の私が認識したくないのです。意味不明なワガママですが、私も意味不明です。
ひとつだけ言えるのは、『私が過去にウソを使わず書いた以上、時間の概念を超えて私と存在し続ける真実』として詩を扱いたいのです。
もし、もしですよ。
ウソを使ってしまった場合、人によっては『恥部』とされ破棄されるでしょう。そんなの詩がかわいそうです。
永遠に誇張と自己陶酔の世界に浸り続ける覚悟があるのなら、私は批判をしません。
自分がおかしな世界に居たと、いつか現実に帰るのなら嫌いです。
歴史的な名作を目指す必要はありません。
ただ自分に率直になるだけで、時間と空間を無視できる。詩にはそんな可能性がある気がするんです。