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自助VS公助に終止符を


1.自助VS公助の論争

菅総理が総裁選で、「自助、共助、公助」と言い出してから、
「自助が基本だ」「いや公助が大事だ」という論争が出てきているように思います。

立憲民主党の枝野代表も自助に異を唱えています。


2.自助、共助、公助は当たり前の話

この「自助、共助、公助」というのは、戦後政権がかわっても踏襲してきた社会保障の基本的な考え方で、特に新しい理念でもなく何か政策の方向性が見えるような言葉ではありません。

要するに、新味のない話である一方、民主党政権時代も同じ考え方でやってきたのですから批判されるようなことでもないように思います。

この辺りの背景については、過去の記事に書きました。


共助というのは、支え合いを社会全体で行えるように制度にした社会保険のことを主に差します。

年金、医療保険、介護保険などです。

病気になったり、介護が必要になったり、高齢で働けなくなり収入がなくなったりといったことは、いつかみんなに起こることなので、みんなで保険料を払って、困ったときに必要なサービスや給付を受けられるようにしようとするものです。

公助は、ちょっと難しい言葉だと生活扶助と呼ばれますが、共助でもカバーできない場合の最後のセーフティネットとして、生活保護があったり、障害者福祉サービスがあったりします。

共助にしても、公助にしても、お金の流れから言うと、お金を稼いで保険料や税金を納めてくれる人がたくさんいるから成り立ちます。

ですから、自助が最初に来るのは当たり前と言えば当たり前なんです。

稼ぐ人がいなければ、困った人を支えることもできないからです。


3.自助に対する違和感

一方で、生活に困難を抱える人もいますし、短期的にはコロナの打撃もあります。最初に自助を強調されると違和感を持つ方がいる気持ちもよく分かります。

ここで、自助について考えてみましょう。

自分の生活は、自分で働いて稼いでやっていく。一見当たり前のことなのですが、実際には自助というのは一人で成り立つものではありません。

人は一人では生きていけません。

人生つまづくこともありますし、みんなが願うような仕事に就けて十分な所得を得られるとも限りません。

家族、職場、血縁、地縁など色々な人とのつながりや制度以外の支え合いによって何とか生活できています。


4.高度経済成長期の自助、共助、公助

僕が作った図ですが、こちらを見てください。

スクリーンショット (726)

高度経済成長期には、多くの人の所得が増えていくこととセットで、共助・公助と呼ばれる社会保障を整備してきました。

繰り返しますが人は一人で生きているわけではありません。

まず、運命共同体としての家族があります。この時代は家族の人数も多く、三世帯同居も多かった時代です。家族みんなで働いて助け合い生活をしていました。

そして、右肩上がりの経済の中で雇用が安定し、お父さんが正社員で終身雇用であれば、一家の生活は安定していました。雇用のセーフティネットがしっかりしていましたし、福利厚生も充実していました。

さらに、親戚同士や隣近所のつながりも強かった時代です。ちょっとしたつまづきや困りごとは、制度がなくても家族や職場、地域の支え合いでカバーしあっていたわけです。

じゃあ、社会保障は何をしていたかというと、こういう安心できる支え合いの輪でカバーできない典型的なリスクを支える制度を整備し、給付やサービスを充実させていったのです。


5.高度経済成長期が終わった後の自助、共助、公助

次の図を見てください。

スクリーンショット (728)

昭和40年代後半のオイルショックを経て高度経済成長は終わったとされていますが、昭和50年代に政府が行ったのは行財政改革です。

拡大してきた給付やサービスを抑えるという改革です。

でも、この時代、核家族化が進み、家族の支え合い機能はやや低下してきましたが、それでも雇用は安定していましたし、まだまだ親戚や隣近所のつながりもあった時代です。


6.平成以降に起こったこと

さらに次の図をご覧ください。

スクリーンショット (730)

平成に入ると、バブル崩壊・低成長時代を迎えますが、家族の機能、雇用のセーフティネット、親戚や地域の支え合い、すべてが弱体化していきます。

この時代は、経済も悪く税収も上がらず、行財政改革はさらに強化されていきました。

社会保障が対応したのは、核家族化による家族の支え合い機能の低下や女性の社会進出に対応して、これまで家庭が担っていた子育てや介護といった活動を、これらは特に女性が担っていたわけですが、これを行政サービスとして提供する制度を作ることでした。少し難しい言葉でいうと「家族機能の外部化・社会化」と言います。

目に見える子育てや介護の制度は充実させてきましたが、図の上にあるような人のつながりや支え合いが弱くなった結果、若い人や子育て世帯などかつては社会の支え手とされていた人たちの中にも苦しい人がたくさん出てきました。(「新しい課題」と書いてあるようなことです)

もし、高度経済成長期にこのような新しい課題が出てきたら、対応するための新しい役所ができていたと思いますが、そのような余裕がなくなっていた時代です。

こういう中で出てきたのが、新しい社会課題を解決しようとするNPOなどの民間団体です。

政府は、少しずつそうした民間団体の取組を後押ししてきましたが、まだまだ十分苦しい状況の人たちに支援が行き届いている状況ではありません。

だから、「まず自助でなんとかしろ」と言われると、「どうしろっていうんだよ」と感じたり、突き放された感じがする方も多いのだと思います。


7.自助と共助の間に

経済や雇用をよくしたり、若者、女性、高齢者、障害者などもっと活躍できるようにして社会の支え手を増やすことが、自助を支えますし、共助や公助といったセーフティネットの制度も安定します。

社会保障制度を、本当に困っている人に重点化していくことも必要だと思います。

でも、忘れてはならないのは、人は一人で生きているわけではないということです。周りの人に支えられて何とか生きているんです。

自助は「一人で生きていけ」ということではないんです。

色んな言葉が使われますが、社会保険制度としての共助と区別するために、僕は「互助」という言葉を使いますが、人のつながりや支え合いを後押ししていく取組を強化することが必要です。

ここを忘れてしまうと、社会は弱肉強食の殺伐としたものになってしまいますし、これは困っている人のためだけでなく、今困っていない人もいつ転落するか分からない社会になってしまいます。

おそらく、政府も互助の強化に取り組んでいくと思いますし、旧民主党が提唱していた言葉で言えば「新しい公共」というのも同じようなことと思います。

社会保障や経済政策だけでなく、人のつながりや支え合いを後押ししていく取組を自分自身も民間の仲間と作っていきたいと思いますし、提案も続けていきたいと思いますが、どのような政策が展開していくか注目していきたいと思います。


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