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青山泰の裁判リポート 第11回 “老老介護”の果てに、80歳夫が85歳の妻を絞殺するまで…。

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2024年6月12日、法廷の山下憲一被告(仮名・80歳)は、グレーのジャケットに黒のスラックス、白シャツにブルーのネクタイ姿。身体をほんの少し左に傾けた前かがみの姿勢で、被告人席に座っていた。
初公判では、50人近い傍聴希望者が法廷に入れなかった。
“介護疲れ”が原因の殺人事件として、注目されていたからだ。

7年前から、被告人は一人で料理、買い物、炊事、洗濯、掃除をしていた。
30年間連れ添った礼子さん(仮名・当時85歳)が視覚障害と加齢で、家事ができなくなったから。足の指を骨折してからは、歩行も困難に。

礼子さんはこだわりが強かった、という。
柔らかいご飯が好きで、指定銘柄の牛乳しか飲まない。魚は鮮魚店でマグロやネギトロ。野菜も数種類用意したが、トマトは皮をむいて、カボチャはトロッとしたもの。
山下被告は、毎日のように3、4店を回って買い物していたという。

被告人はその理由を説明した。
「我々の歳になると、食べるくらいしか楽しみがない。できるだけ妻の希望に沿ったものを作っていた。ただ機嫌が悪いときは、固い、味が濃いと食べないことも多かった」と。

何の介護サービスも
受けていなかった。


山下被告は、妻の介助も一人でしていた。
尿漏れがあり、パジャマや下着は毎日洗濯。医者に行く前はシャンプーしないと嫌で、手伝っていた。
夫妻は一度も介護保険を使わず、訪問介護、訪問診療、デイサービス、デイケアなどの介護サービスを受けていなかった。

2023年になって、そんな2人の状況が急激に悪化した。
1月、要介護1に認定された礼子さんは、「目が見えない私が行っても一緒にできないので嫌だ」とデイサービスを拒否。

被告人はシルバー人材センターに通っていて、それは息抜きでもあったが、6月に辞めた。妻を一人にすると、勝手に家を出て徘徊するようになったからだ。

7月に精神科医の往診を受けて、神経症・うつ状態という診断を受けたが、「私がおかしいんじゃない、あなた(夫)がおかしいんだ」と言い張り、妻の希望で次の診察はキャンセルした。
夏頃から、妻の目がほとんど見えない状態になり、被害妄想が混じった支離滅裂な状態になった。

ヘルパーは、「認知症が
急激に進んでいた」と。


ヘルパーだった女性が証言する。
「礼子さんは、右目はまったく見えず、左目の視力は0.06。ぼやっと見えるくらいで色はわからない状態。家の中を自分ひとりで壁を伝いながら歩くことはできた。

認知症が急激に進んでいるのでは、と思いました。
『浮気されている。下着の枚数が合わない。夫が財布を取り上げて返してくれない』『泥棒に入られた』と。

『死にたい』『死んだ方がまし』との言葉もありました。
『殺される』と騒いで救急車が到着したが、けがや病気ではないので引き上げたことも。
違和感のある出来事が重なり、入院して治療すべきだと思いました。

ご主人はきちんとした人。
家の中はきれいにしているし、礼子さんが身体の不調を訴えたときは、病院への送り迎えをするなど、対応していた。
ご主人は『耳が遠いのでどなったことはあるが、妻に手を出したことはない』と。
事件を知って大変驚きました。そんなことをする人には見えなかったから。
ご主人は抱え込む人だったので。二人にとって不幸だったのかな、と思います」

団地の住民も、妻の
奇行に気づいていた。


同じ団地に住む住民たちも、妻の奇行に気づいていた。
家のインターフォンを鳴らして「夫が浮気している」「来客用のスリッパがずれていた」「新しいお菓子や急須が。女が買ったに違いない」「新しい下着が6枚増えた」など、何度もやってきては同じ話を延々と話された、と。

通りがかりの人に「警察に電話してください」「車にぶつかれば死ねる」と訴えたことも。
ただ「奥さんはご主人の悪口は言うが、ご主人は奥さんの悪口は言わなかった」と。

携帯のメモには、
「もう限界です」と。


被告人の携帯に、日記代わりのメモが残されていた。
「もう限界です」
「首を締めようと思います」
「まだ勇気が出ません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみます」
「ご迷惑をおかけします。お金は通帳だけです。親族は高齢者ばかりです」
事件直前は酒量が増えていた。
ビールと芋焼酎。お酒の力を借りて眠っていた、という。

10月1日、夕食を食べながら、錯乱した妻の苦情を聞いていた、という。
話が支離滅裂で、収拾がつかないことを延々と話す。外へ出て行こうとするので、ベッドへ連れて行き、横並びで会話。
妻が興奮したので、右手で口を押えたのが最初。右手でのどを掴んで押した。ベッド下の床に両ひざをついて、両手で首を絞めた。血圧計のコードがあったので、それで絞めた、という。

被告人は耳が遠いのか、時折耳に手を当てて聴くことはあったが、弁護士や検察官からの質問にはしっかりと答えていた。
――包丁を使おうと考えませんでしたか? 
「傷つけるのは嫌だった、血まみれになるのはもっと嫌。
静かになった妻をベッドに寝かせて、顔の両脇にタオルを置いて、手を胸の上に置いて、ハンカチを持たせました」

「どうしたら自分が死ねるか
ばかり考えてました」


――事件後は、どうしましたか?
「アルコールをあおっていた。どうしたら(自分が)死ねるかを考えていた。
牛刀を持ってきて刺そうとしたが刺せませんでした。ペティナイフなら、と思ったが刺せませんでした。
自分を刺す勇気が出なくて、励ますつもりで『頑張れ』と(メモを)。
電話も(玄関の)チャイムも無視してました」
――どうしてですか? 
「人に分かる前に自分自身で処置(自殺)しなければいけないと思っていたので」

――警察に対してはなぜ応対を?
「帰らないだろうと思ったので」
――妻は寝ていると嘘を?
「それで帰ってくれれば自分が死のうと。
『起こしてください』と言われたので『起きません』と。
死んだという確信は持ってませんでした。死んだかどうか確認してしません」
――自首しようとは? 
「思いませんでした。自分が生きていることはあり得ないと思っていましたから」

「一生懸命生きようとしていたのに、
私が奪ってしまいました」


――介護が負担になったのでは? 
「2人きりの家族なんだから介護は当たり前、当然だと思っていました。
自分自身の無力さと力のなさに……なんて言ったらいいのか……絶望してたのかもしれません」
――後悔していますか? 
「礼子は、本当は一生懸命生きようと思って薬も飲んでいたのに。
私が奪ってしまいました。本当に申し訳ないと思っています」

――奥さんが「死にたい」と言ったのは、本心からだと? 
「そう思いたくはありませんでした。『殺してほしい』という言い方はしなかったけど、興奮した時に『殺して』とかはあった。
――妻を殺すということは? 
「考えてなかったと思います」
――いつ頃から殺すことを考えてましたか? 
「思い出せません。
ただ今のままじゃ、礼子がかわいそう。死んだほうが楽になるかも、2人で死ぬ方がいいかも、という気持ちがどこかにあったことは確かです。
間違いだったと思っています。

妻は若いときに結婚して、子供を一人産んで離婚して、慰謝料などももらわずに苦労していた。老後をゆっくりしたいと。
(今の結果は)夢にも思っていませんでした。後悔しています」

――介護ストレスが原因で殺したと供述した記憶がありますか? 
「覚えていません。私は介護ストレスが原因で殺害したとは考えていません。
(介護するのは)家族だったら当たり前じゃないですか。自分ではストレスを感じていたとは思ってません。
(礼子が)自分でやっていることがわからなくなって……何言っているのかわからなくなって……かわいそうに感じて」

「周りの人には、迷惑を
かけたくなかった」


――兄弟や他人には相談しなかったのですか? 
「妹には相談しています。ただ2人とも後期高齢者で遠くに住んでいる。迷惑をかけたくなかった。自分たちだけで解決しようと。
よく言えばプライドがあったのか、悪く言えば見栄っ張りだったのか」

――根本的な原因は? 
「妻に寄り添っていたつもりでしたが、根本的なところでわかってなかった。もっともっとあけっぴろげに話す機会を持つべきだった。
本人が嫌がっても、専門的な……。精神科医の予約をキャンセルしたのが分岐点だった。
いろいろなサポートや提言はいただいたのですが、100%やれたかというと、できなかった。

人に頼ることができない性格だと思います。
頼むところは頼む、お願いすることはお願いするべきだった、と。

「二人で笑い合うことが
なくなってしまった」


「事件の1年前くらいから、礼子さんとの楽しかったことは何ですか?」
裁判官からそう問われて、被告人はしばらく考えてから、絶句した。

「特別に楽しかったことは、あまりなくなったのかもしれません。礼子から『笑え』って言われましたから。二人で笑いあうことがなくなった」
――葛藤についてもう少し詳しく話していただけませんか? 
「治してやれることはできない、と。そうかもしれません」
――メモを残したのはどうして? 
「発見してくれた人に、なぜ死んだのかわかってもらいたいと」

被告人の更生支援計画を作成した社会福祉士の女性が証言した。
「被告人の性格はまじめで几帳面、責任感がある。
妻が夜中に大声を出すようになって不憫に感じるように。
人から『やせた?』と言われたが、本人は自分自身のことについては考えが及ばなかった。

さまざまなケアがあったが、本人は知らなかった。担当ケアマネージャーがいなかったので、情報が共有できず、支援計画が作成されることがなかった。

妻は嫉妬、被害妄想、攻撃性、希死念慮。
夫は絶望感、閉塞感、介護ストレス。
充分な支援体制があれば、事件は防げたのでは、と。精神疾患に、目が見えないという困難なケースを取り扱う職員が慣れてなく、その後の支援がなかった。

本人がサービスを受けたくない、人が入ってきてほしくないと言っていた。
深夜に妻の言動がエスカレートして「もう、だめだ」と犯行に及んだ。
肉体的にも精神的にも限界だった。

要介護1の認定を受けていたが、事件直前は要介護3相当だったのではないか。
変更すべきだったが、説明を受けていない夫にはできなかった。
要介護3になれば、毎日のようにデイサービスを利用できるし、特別養護老人ホームへの申請も可能になる。

「家族で誰かが調子悪くなったら、
介護するのは当たり前ですよね」


裁判員からも質問があった。
――結婚したことは後悔していますか? 
「最後さえ間違えなきゃ、結婚したのは良かったと思います。
妻は結婚した頃より、(最後の方が)私のことを好きなったのかも、と。
『ハグしなきゃダメ』とか言うようになったし」

――繰り返しになりますが、「介護はつらい」と思ったことは? 
「家族で誰かが調子悪くなったら、介護するのは当たり前ですよね。
元気な時は、普通の家庭と同じように、ほとんどの家事を礼子がやっていた。
ちゃんとした時間がだんだん少なくなっていった。朝、大丈夫でも昼にはダメ。最初の夫の浮気の話をしたり」

保釈後は、妹夫妻と一緒に暮らしていた、という。
「今は、朝洗顔が終わると、妹がお茶を2つ持ってきてくれます。仏壇でお題目を唱えて謝りながら飲んでいます。礼子がくれたお数珠をずっと持っています」
――どのような償いを?
「まだ妻が生きていたいと願っていたのを取り上げたんですから、一生懸命謝りながら生きていきたい。月命日には好きだった百合の花を供えたい」
と声を震わせた。

「礼子は、仕事でも家庭でも強い女性だと思われていたが、本当は甘ったれで、私にも甘えたかったのではないかと。それができなかったのでは、と。
今は自殺する気はありません。礼子のことを供養しながら生きていきたい」

検察官は“介護疲れ”での
犯行を否定した。


被告人が犯行を全面的に認めているので、争点は量刑になった。
検察官は主張した。
「被告人を責める発言があり、騒いで外出しようとし、静かにするためには殺すしかないと殺害を決意して実行した。

静かにさせるためだけなら、電源コードを使う必要はない。
犯行直後の記憶が鮮明な時の供述では『腹が立った』『かっとなった』『頭に血が上った』などと発言していた。

介護ストレスによる殺人と言われることには、被告人自身が違和感を持っている。
被害者を殺害する以外にも方法、手段があった。やむ負えない選択ではなかった。

弁護側は介護疲れによる殺人と主張するだろう。
しかし被告人は介護を著しく負担に感じていたわけではなく、被害者が死を受け入れていたと考えていたわけでもない。

無理心中を考えていたというが、それならば被害者が寝ている時とか抵抗されない時を選ぶのが自然。また自殺する方法も、具体的に考えていない。被害者の『死にたい』という発言はうつ状態での発言。
やむをえない犯行、つまり介護疲れの犯行ではない」

求刑は懲役7年
被告人は座って頭を下げたまま。両手を太ももに置いて、体をまったく動かさずに聞いていた。

「穏やかな老後を望んでいた
2人が、加害者と被害者になった」


弁護人は主張した。
「どんな理由があろうとも人を殺害することは許されません。
被告人は、自覚はしていなかったが精神的に追い詰められてしまった。

介護疲れは、被告人自身がどう考えていたかではなく、客観的に判断してほしい。
現実に何ができたかと考えると、選択肢は少なかった。介護サービスは被害者本人が拒否。行政の積極的な介入がなかった、行き届かなかったことが原因の一つ。
周囲の人に相談したが、相手にも生活がある。介護の分担は無理だった。

被告人は『礼子がかわいそう、楽になるのかな』と考えていた。
『とにかく静かになってほしい』というのが犯行理由。
腹が立った、怒りを感じたからではない。電気コードを使ったのはたまたまで、わざわざ用意したものではない。

被告人には前科前歴がない。執行猶予付き判決が相当。
穏やかな老後を望んでいた2人が、殺人事件の加害者と被害者になってしまった」

最後に被告人は、
「本当に多くの人が私のために一生懸命やっていただいて、励ましの言葉をいただいて、ありがたく思っています。一緒になったときは、こんなことはまったく予想していなかった。礼子には、悪かったな、ごめんなさい、それしかありません。
ありがとうございました」
と深く一礼をした。

「裁判員と考え抜いた中で
このような結論になりました」


2024年6月20日。
裁判員の下した判決は、懲役3年執行猶予5年。

「犯行当日、数時間妻をなだめても興奮状態に。殺意を持って首を両手で締め、電源コードで締め付けて殺害した。
妻の心身が悪化しても、『家族が面倒を見るのが当たり前』と考えていた。地域包括支援センターなどにも相談したが、すぐに抜本的な解決策を見いだせなかった。

本人は『介護によるストレスはない』というが、経緯をつぶさに見ると、自覚のないまま疲労感を蓄積させていた。視野が狭窄していた。
確実に遂げるために電源コードを用い、強固な殺意が感じられる。

被害者は服薬などで回復を望んでいたのに、愛する夫から殺害された無念はあまりある。
ただし被告人を直ちに刑務所に収容することが唯一の手段とは思えない。

ただ結果が非常に重いことは強調しておかなければならない。
執行猶予が付く犯罪では最高の、懲役3年で執行猶予5年。
裁判員と考え抜いた中で、このような結論になりました」

うつむいたまま判決を聞いた被告人は、立ち上がって弁護士に深く頭を下げた。
そして被告人席の机に両手をついて、何かを考えるようにしばらくうなだれていた。
被告人の頭の中に去来したのは、何だったのだろうか?
妻の姿だったのだろうか?

執行猶予付き判決だったが、山下被告に安堵した様子はまったくなかった。
長年連れ添った妻を自らの手で殺害したという事実は、何も変わらないのだから……。

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