見出し画像

祖谷山ランバージャック ⑦ 〜 ペットボトルのマムシ 〜

2004年に徳島県の祖谷山村で山師の仕事をはじめた。この年に新潟県中越地震が発生してマグニチュード6.8の最大震度7を記録した。

今回は集材機(ウインチ)を使った架線集材について書こうと思う。

索張り(さくばり)を終え、丸太を集める最初の作業は緊張がはりつめる時間である。

無線のトランシーバーで、ウインチを操作する山師のシゲさんと重機に乗る親方、荷掛けの僕が声を掛け合う。

「おろしてー!」または、「下げー」

と無線で言うだけで搬機が止まり、それについている滑車とワイヤーが降りてくる。

そして倒れている原木をワイヤーで結んで、合図を送る。

「上げ〜」

と、この言葉1つで杉の原木は宙に浮き、搬機に吊られて土場(どば)まで一直線に運ばれる。

また、土場には親方がプロセッサという重機に乗って、運ばれてきた原木を造材する。

「昔は、一本一本、手で寸法してチェーンソーで切っとったんやで」

と親方はこのプロセッサーが林業のやり方を変えたと言っていた。50年生の杉は約25メートルあり、4メートルで玉切りしたら5本は取れる(先端の部分は切り捨てる)

この作業をユンボのグラップルとチェーンソーでやっていたら、2人で30分はかかってしまう。もちろん枝払いもしなければならない。

それをプロセッサーは30秒でやってしまう。林業界の革命が起きたのだ。

話を僕の担当する荷掛けの作業に戻そう。木を切り倒した後の斜面は非常に歩きづらい。

しかも立木があれば、木陰で休むこともできるが、皆伐なので、木が全て倒されまるで砂漠のように日陰がない。

冬でも山の直射日光は、とても暑く感じるので、真夏の集材は死ぬほど暑かった。あと虫をはじめ、蛇や蜂との闘いでもある。

そんな中、マムシが出ればラッキーと思うようになった。ウインチ乗りのシゲさんがマムシの捕まえ方を教えてくれたのだ。

頭が三角で灰色のしま模様が特徴のマムシは生きたまま捕まえ、ペットボトルで持って帰る。そして2週間、水だけを与えて飼育する。

その間、毎日水の交換をしてマムシの体内を綺麗にしなければならない。ちなみにマムシは1ヶ月水しか与えなくても余裕で生きている。

水を毎日交換して2週間後、焼酎の一升瓶にマムシを移したらマムシ酒の出来上がりである。これが2万円で売れた。

2,000円の焼酎が2万円になるので、マムシを見つけては必死で捕まえるようになった。

「拓よ〜、水を換えるときは気をつけやー」

とシゲさんに注意を受けていたが、ペットボトルの蓋を外し、水を棄てる隙に台所で逃げられたこともある。

その日の晩は、寝る前、ベットの周りにマムシがいないか気になって仕方なかった。そして、酒に酔った状態で水を換えるのはやめようと心に誓った。


記事のサポートをしていただけますと今後の活動の原動力になりますので何卒よろしくお願いします。

コメント欄に感想•質問をしていただけると嬉しいです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?