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転職アスリート Ⅱ[大工の弟子 前編]

オーストラリアでプロのトライアスリートになると、大見得を切って旅立ったのだが、1年もしないうちに、挫折して徳島の実家に帰ってきた。

当初300万あった手持ちのお金は100万程になっていた。とにかく、実家に帰ったのだが、

「何かを始めなければ」

と焦る気持ちと、

「何をするべきか?」

との迷いで、頭の中がいっぱいであった。
そんな中、オーストラリアで出会い、一緒に過ごしたシェアメイトの青年が、親子で大工さんの仕事をしていて、カッコいいと感じていたのを思い出していた。

中学の同級生に高田という、親子で大工をしている友達がいた。ある日、その彼を訪ねて

「大工の仕事ってどんな感じなん?」

と聞いた。すると彼は

「年季という修行期間があってな、その間は小遣い程度しか出えへんのよ」

と高田は4年程の年季が明けて、独立し2年目だと言う。中学の頃は、小柄でひょろっとした感じだったが、筋肉がつき、とても逞しく見えた。

高田は年季奉公2年目の頃に、同級生の石井を同じ大工の仕事に誘っていた。ちょうど彼の年季も明けるので、親方には弟子がいなくなるという。

しばらくの間、迷ったが結局、高田の家に行き

「弟子にして下さい」

と言って同級生の親に、頭を下げ、弟子入りをした。

大工の現場は朝が早い。日曜以外は祝日も休みはなかった。
毎日オカンの手弁当を持って、自転車で親方の家まで通った。雨の日も風の日も自転車をこいで通っていた。

そして親方の家で軽トラに乗りかえ、2人で現場へ向かっていた。

当時は不景気なのか、自分の思っていた大工仕事は、ほとんどなく、サイディングと呼ばれる外壁工事に駆り出される等、他業種への応援が多かった。

「今日もサイディング屋かぁ、、、」

そこは単純にパネル加工の外壁を切って、運んで、釘で撃つという単純作業の肉体労働であった。

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