転職ランナー ③ 〜 大工の弟子 後編 〜
なんだかんだで、高田の親方には、半年程お世話になった。
自分から言い出したので、辞めるのは、少し気まずくなったが、力になってくれたのが家族である。
そもそも、大工の年季という仕組みが、あやふやである。もとより修行期間がどれくらいという目安も無ければ、その間の工程や内容も行き当たりばったりであった。
そして最初の給料が3万円で、次の月から5万円である。小遣い程度とは言われていたが、本当にこの金額だけなのだ。
そこから健康保健と国民年金を引くと、ほぼ全てなくなるのだが、親には
「家に食費として3万円入れる」
と約束していたので、確実に赤字になった。
オカンに毎日、弁当も含め3食を作ってもらっていたので、その3万円は安いのだが、削れるのはそこのお金しかなく、
「オカン、すまんけど1万にしてくれ」
と途中から1万円で勘弁してもらっていた。
また大工で仕事を覚えていくには、道具が必要である。
昔はノミとカンナとかで、良かったかもしれないが、今日では、ほとんどが電動工具になっている。
しかも親方は、そのノミとカンナを与えただけで、
「他の工具は自分で買って、そろえていくものだ」
と言い切った。最初の数ヶ月は親方や兄弟子の工具を借りて使っていた。何度も使うことで自分の物が欲しくなる。
給料が5万円なのに、仕事で使う電動工具を5万以上かけて買うこともあった。
さらに新しい道具を現場へ持って行くには、車が必要である。中学の同級生に10万円で中古の軽自動車を売ってもらった。
そうこうしているうちに6ヶ月が経ち、そして給料日がやってきた。
さすがに親方は分かっているだろう。ほぼ毎日一緒に仕事をしていて、自前の車で現場に行き、自分の新しい工具を使っている。
ガソリン代や車の保険も自分で払っている。
いくら何でも、今までと同じである訳がない。そんな思いで給料袋を開けると、5万円しか入っていなかった。
「やばい、このままでは破綻する、、、」
貯金はもう既に30万を切っていた。悩んだ末、親方に辞めると伝えた。しかし、
「辞めることは、受け付けない」
という。そして何度も、何度も電話がかかってきた。電話に出るのが怖かったので、無視を続けた。
家にこもっていた。家から出るのが怖かった。しばらくして親父が、ノミとカンナを高田の親方の所に返しに行ってくれた。
そして親方からの電話はかかって来なくなった。
続