おい、福田! (全4話 3,805文字)
1.伝説の新聞勧誘員
高校の同級生である福田のことを書こうと思う。それは21世紀を目前に控えた1998年、上京して、たまたま近くに2人は暮らしていた。
彼は高校を卒業し、品川区の荏原中延にある独身寮に住んでいた。僕も近くの川崎市に居たので徳島の田舎者同士でよくつるんでいた。
僕らは別々の会社に勤めていたが、常にお金がなく、蒲田駅のボロくて安い居酒屋で飲むことが多かった。そんな中、福田は給料日前になると
「タク、金借してくれ!」
と、こんな俺にたかって来る。そして給料が入ると返しにくる、謎の行為を繰り返していた。
しかし、ある日を境に福田の羽振りが良くなっていく。話を聞くと彼は、
「新聞の押し売りをやってる」
という。僕はその怪しい雰囲気満載の仕事内容を根掘り葉掘り聞いてやった。
まず、福田は勤めていた京浜島の工場を電話1本で辞めた。そこは歴代の先輩が毎年1人採用されており、そこそこ名の知れた会社である。
今まで信用を積み重ねてきた先輩方と母校に泥を塗って辞めたような形だ。さらに彼は、
「会社の寮を出て、今は女の所に転がり込んでいる」
という。実際に行ってみると蒲田のカラオケ屋の前で、酔い潰れていたあの女がなんと主であった。
話を新聞販売に戻そう。スポーツ新聞の求人欄に載っていた、その販売店は偶然にも彼女のアパートの下にあった。
無数に止まっている自転車と配達用のカブを掻き分けて、よく福田の同棲しているアパートへ遊びに行った。
彼は最初、新聞配達の仕事を勧められたという。しかし、「僕は朝が苦手なんで」と雑に断り、訪問販売での新規勧誘を始めた。
福田は一見真面目そうに見えるが、喋れば人懐っこく、中身の無い会話を永遠と続けることが出来る。それがお年寄りや主婦層に何故かウケが良かった。
新規顧客をどんどん獲得して、すぐに前の仕事の給料を稼ぐようになった。さらに半年もしないうちに販売店でトップの成績を残すまでになる。
彼の売り方は独特であった。訪問販売なので玄関を開けて貰わないと話にならない。そこで編み出した技がある。
東京では、アパートやマンションに表札のない家が多い、福田はとりあえずピンポンを押して、
「、、、ブンさ〜ん、、シンで〜す、、」
「、、シンさ〜ん、、、ブンで〜す、、」
と謎の問い掛けを繰り返す。これに反応して出て来た者は彼のマシンガントークによって新聞を買う羽目になるという仕組みである。
ここで福田の必殺技だが、玄関の扉が開いたら、すかさず片足を中に入れ、
「契約してくれるまで帰らない」
と福田は押し売り定番のスタイルで喋りまくった。ほとんどの人が新聞を読んでいた時代なので、新聞社を乗り換え、契約してくれる人が多かったらしい。
因みに少し前に書いた記事に福田は出てくるので、もし良かったら、こちらも読んで欲しい。
2.成りすまし家庭教師
高校の同級生である福田の話を書いている。それは21世紀を目前に控えた1998年、2人は上京してたまたま近くに暮らしていた。
新聞勧誘の仕事を始めた福田だが、夜に別の仕事を掛け持ちする事になる。それは福田の彼女がやっている、家庭教師のバイトを手伝っていると言うのだ。
福田が家庭教師をやって教えていると聞いて我が耳を疑った。僕は、
「オマエが勉強教えとんのか?」
と福田に問い質した。彼は、
「うん、中学生のな!」
と普通に答えやがった。ちょっ、ちょっと待て!とツッコミ所が多くあり過ぎて、言葉を失いそうである。高校の彼の成績では小学生でも教えるのは難しいはずだ。
「どうやって教えてんの?」
と聞けば、問題集をその中学生と一緒に、悩みながら解いているという。そして解らない所は、解説を見て答えを導き出しているらしい。
最近では福田の教える中学生の方が、解答を導き出すのが速いので、彼は横でひたすら漫画を読んでいるのであった。
そんな彼に奇跡が起きた。教えていた生徒の成績が上がり出し、彼は時給を上げてもらえたと言う。福田は高卒の新聞勧誘員だが、
「バカだ大学の学生です」
と嘘をついて家庭教師に成りすまし、教えていた。ある親御さんはこの「バカだ大学」を、早稲田大学と勘違いしていたと言うから、世の中には変わった人がいるものだと感心する。
ある日、福田は調子に乗って新たに高校生を教えに行くことにした。その高校生は陰鬱な性格で、家庭教師の彼をゴキブリの様に受け付けなかった。(真っ当な高校生の反応であろう)
そして何度か福田はその高校生の家に行き、ゴキブリ扱いされながらも彼女の横で問題集を解くのを見ていた。そうこうしていると彼に鬱が移ってしまったらしい。
急に家庭教師を辞め、彼女の家も出て、新聞勧誘の仕事までも、辞めてしまい彼との連絡が途絶えた。この数年後に福田と再開するのだが、曰く
「当時は冷静な判断が出来なくて、とにかく逃げるのに必死だった」
という。次回、この福田との再会の話を書こうと思う。
3.超ブラック自動車期間工
高校の同級生である福田との再会は、2003年の阿波踊りの最中にあった。
僕は川崎市の会社を辞め、オーストラリアまで行き、そこからまた実家のある徳島で、当時は大工の見習いをしていた。
その日はお盆に帰省した友達と阿波踊りを見ていた。崩れた浴衣を着て、見るからに酔っ払いの男が、目の前を通り過ぎた。
笑った感じが似ていたので、
「おい、福田!」
と声をかけた。すると男は振り返り、目が合った、約5年振りの再会である。
人混みの中を掻き分け、福田の携帯番号を聞いて、その日は分かれた。
翌日、家の近くで会って、お互い近況の話をした。
彼は東京を離れ、岡山県で某M自動車の期間工を2年ほどやっていた。それは刑務所に等しい扱いを受けて過ごしたという。
そこは人里離れた山の中に、4階建ての団地が何棟も並び、その殆どが期間工の宿舎になっていた。毎日送迎バスに乗らされ、工場に連れて行かれる。
移動手段はそれ以外なく、何もしなければお金は貯まるというが、金の貸し借りや、麻雀、賭博が蔓延っていた。月に2、3件は自殺や暴行、盗難などの事件が、起きていたという。
また、売店の様な移動販売店があり、アンパンなど甘い物が異常に高かった。コンビニで100円もしないパンが、500円で普通に売られていた。
しかもそれらが、直ぐに売り切れになっていたのだという。酒を飲まない人間は、甘いもので欲求を満たすらしい。
敷地の周りに、有刺鉄線のフェンスが無いだけで、中は生き地獄のありさまであった。
彼の職場では、遅刻や無断欠勤には罰金の制度があり、福田は刑務所より劣悪な環境で働かされていた。
何とか2年の期間を終了し、退職金を貰って今度は大阪で働く事にした。家賃が2万円のマンションを借りて、彼は一人暮らしを始める。
そこで水道の浄水器の訪問販売の仕事を見つけた。そして福田の真骨頂であるマシンガントークを使って売りまくった。
岡山の自動車工場で2年かけて、貯めた同じ額を大阪では、2ヶ月で稼いだという。話を聞いていた僕は、
「何で2年も工場で働いてたん?」
と尋ねた。彼は遠くを見つめて、
「禊ぎみたいなもんなんかなぁ」
と遠くを見て、答えを探す様に言った。福田から禊ぎという、意外な言葉が出たのに驚き、僕は、
「お前でもそんな考えがあるんや」
と少し小馬鹿にした様に伝えた。しかし、彼は至って真面目な顔で、
「気分の浮く時と沈む時があるからなぁ、、、」
とまた遠くを見つめながら答えるのであった。
4.なんちゃって大工職人
高校の同級生である福田の話を書いている。
5年振りの再会で2人の積もった話は3時間にも及んでいた。勿論、自分の事も話した。勤めていた会社と陸上やトライアスロンを辞めて、今は大工の見習いをしていること。
上京して貯めたお金が、もう底をつきそうになっていることなど、お互いの近況を話している中で、福田は、
「俺も実は大工職人として現場に行ってる」
と言い出した。ちょっと待て!と、大阪で浄水器を売っていると思っていたが、新たな展開に戸惑いながら、僕は、
「どこでそれをやってんの?」
と尋ねた。福田は長野県から北陸に向けて新幹線開通工事の現場に住み込みで行っているらしい。
それもまた、スポーツ新聞の求人欄で見つけた仕事である。最初は日当8,000円のゴミ拾いの仕事で入った。そうこうしていると大工経験者を探していると聞いて、彼は型枠大工の手伝いを、3日しか経験していないのに、
「3年やってました」
と嘘をついて採用された。仕事内容は新幹線のレールの土台となる枕木の固定で、五寸釘という長くて大きい釘をカナヅチで打ち込んでいく。
しかし、福田は釘をまっすぐ打つことが出来なかった。打ち始めて直ぐ釘を曲げていたという。それを聞いて僕は、
「え、そんなんで大丈夫なん?」
と心配になった。すると福田は、
「作業する間隔が10メートルぐらい離れてるから、見えへんねん」
と言い切った。福田は相変わらず無茶苦茶である。あの北陸新幹線は絶対に気をつけた方がいい。
しかも彼は素人丸出しの大工だが、日当を2万円も貰っていた。それは自分の親方よりも高い給料である。
福田とはこの後、4年後に会うのだが、お互い転々と職を変えながら、オリンピックのごとく4〜5年に一度、定期的に生存を確認するという機会を得ていた。
今回はこれにて筆を置こうと思うが、時を見て次のシリーズ、福田の華麗なる転身を書こうと思う。
完
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