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価値観の通訳という言葉への違和感-「新版 はじめての課長の教科書」に学ぶ(4)

会社組織には年齢にして約40歳ほどの年齢層が存在します。親と子ほど年が離れた人たちが集い、皆で同じ目的を持ち同じゴールを目指すというのは、冷静に考えるとなかなか面白い集団かもしれません。『3000億円の事業を生み出すビジネスプロデュース戦略(三宅 孝之 (著), 島崎 崇 (著))』という本にある以下の図は、戦後から現代に至るまでの年齢層ごとの特徴をうまくとらえた図としてSNSでバズっていたので見た方もいるかもしれません。

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ではこうした世代別意識の違いを超え、どうやって一つになっていけばよいのでしょうか?先日来このnoteでご紹介している「はじめての課長の教科書」では、中間管理職に世代間の価値観の通訳を果たすことが期待されているとあります。

ただこの表現には正直少しもやっとする部分があります。年配層と若年層が理解し合えないという前提にあるように思うからです。書中には「もののけ姫」のアシタカが、もののけと人間との仲介役とし尽力した姿をその例として紹介されているのですが、「同じ会社の年配層と若手層の間で人間ともののけほど価値観の断絶あるんかいな」と思ってしまいました。

相互理解と相互尊敬こそがチームワークの源泉であり、むしろ経験値があり相手を許容する余裕もある年配層こそが、若手を理解しようと努める努力を怠っているのではないか?新人類や〇〇世代という言葉を使うことで一刀両断してしまい、分かり合えないのは自分の努力不足ではなく社会のせいだという他責的なとらえ方が自分にはどうしてもしっくりきません。

もちろん社会全体を見ると価値観の通訳が必要となるような組織の方が多いのかもしれませんので、現実的には書籍にあったような役割を明確に期待するという表現は正しいのかもしれません。また経営と現場との役割の違いから生まれる言葉の違いはどうしても出てきますので、その行間を埋める役割は組織には欠かせないことも事実です。

ただ『セロリ』の歌詞ではないですが、相手のことが好きなら育ってきた環境の違いなんて乗り越えられるはずではないでしょうか?そもそも理解し合うという土俵に乗ろうとしない状態を、年配層から作ろうとすることは何としても避けるべきだと思います。相手を受け入れ抱きしめる包容力こそが、多様性の時代に求められていると思います。

年配層上位層が中間管理職に通訳を一方的に求めるのではなく、まずは年配層や上位層こそが若手層を全力で理解しようと働きかけ、結果どうしても生まれてしまった行間を中間管理職が埋めるという形でありたいと思うわけです。

自分も40代半ばに差し掛かり会社組織における年齢層の中間に差し掛かりました。如何に相互理解の姿勢を維持できるか、自分でも踏ん張り続けます。

参考:新版 はじめての課長の教科書/ディスカヴァー・トゥエンティワン
酒井穣 (著)
第1章 課長とは何か?/6 価値観の通訳としての課長

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