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日々雑感ー介護の日々

今日は、思ったことの断片を書いてみる。

毎日、顔を突き合わせていると気づきにくいのかもしれないが、母は少しずつ変化している。気になるのは、ときどき咳き込むこと。風邪やコロナ、というよりも喉の奥が狭くなっているというか、喉の力がなくなってきているというか。。。
誤嚥性肺炎を気にしないといけないかもしれない、これまで以上に。

2月の下旬に長男と温泉に行ったのだが、半年少し前には母は、ひとりで一晩過ごせた、ということなんだな。いまは、とても無理だろう。
これは私がそう思うだけでなくて、母もひとりでいる不安に耐えられないだろう。
2月下旬はコロナが蔓延する前の時期で躊躇もしたのだが、あのときに行かなかったら、もう無理だったと思うと行って良かった。ささやかな一泊旅行だったけれど。

急に涼しくなって気がついたのだが、母は夜中に3~5回はひとりでトイレに行く。ベッドとの往復には10分以上かかっているが、なんとかひとりで済ませてくれる。
でも、最近、ベッドに戻った後、布団をきちんとかけられないことに気づいた。夏の暑いうちはどうということもないが、これからの季節、布団を自分で掛けられないとなると、どうしたものか。。。
その都度、私が起きて、布団を掛けに行くのか。人間が老いると、なかなか想像できないことが起きるものだ。とりあえずは、エアコンをつけっぱなしにして部屋を暖めておくくらいしかないか。。。

数か月前まで、母は朝は5時には起きて身支度をして、リビングの椅子に座っていることが多かった(そんな時は血圧が高いことが多かった)。私はいつも、もう少し寝ていなさいよ、ぼんやり座っていても仕方がないし、などと言っていた。
でも、最近は、そんな日はなくなっている。トイレに行くために一度は起きても、いまはまた寝ている。そのほうが安心ではあるけれど、やはりすこしずつ衰えているのかと思う。

私はいま在宅で仕事をしている、と言えば聞こえはいいが、まあ、中途半端な状態だ。会社をつくってはいるもののまだまだ実態はない。
もし昨年、会社勤めをやめていなければとどうなっていただろうか、と思うとちょっと複雑な気持ちになる。
9時5時だろうと、もっと短時間だったとしても、とても在宅で母の面倒を見ることはできなかっただろう。だとすれば、施設に入れていたか? 自費でヘルパーさんを頼んでいたか?
外出嫌いの母だが、毎日、デイサービスに通ってもらったのか?
おそらく施設に入れていたように思う。もしかしたらそのほうがお互いに良かったのかもしれない。私が仕事に充実感をもってやる気が満々にあれば、そうした選択を堂々としたかもしれない。
書いていたら、自分の気持ちは、仕事から逃げて、今度は介護からも逃げたいということなのか、と思えてきた。これは良くない兆候かもしれない。

ほぼ毎日洗濯をしている。
1年前は、母は自分の下着やブラウスは柔軟剤の入ったようなすこし高めの洗剤をつかって、自分で洗っていた。いつからそうしなくなったか。。。
半年前までは、トイレのドアは締めて使っていたが、いつのまにか開けたまま入るようになった。万が一のことを思えばそのほうがいいのだが、私もこの歳になって母のトイレ姿を間近に見るとは思わなかった。。。

母の面倒を見ながら「私が子どものころに世話をかけて育ててもらったから、それを返しているんだよ」と言ったら、喜んで納得していた。私もウソで言っているわけではないが、でも、これは違うのだろうな。
私が受けた恩は、次の世代、自分の子どもや孫、もしいなければ、血のつながりはなくても不利な状況にいる子どもたちに返していくのだろう。そうして次の世代、次の世代、とつながっていく。それが人の世なのではないか。




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