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高齢者の趣味―介護の日々

私の母は、70代までは趣味も付き合いも多い人だったと思う。
卓球、ダンス、体操、バス旅行、春の花見会、忘年会に新年会、行きつけの洋装店、和装店でのお茶会(当然、いろいろ購入する)、元PTA役員、元民生委員の集まり、などなど。これに年に数回、旅行好きの父や義妹(私の叔母)との遠出があった。さらに75歳ころまでは自転車に乗ってダスキン(モップ)の交換のアルバイトもしていたのだから、忙しくも楽しい生活だったと思う。
東日本の震災の年に父が亡くなったあとも、旅行こそ減ったが、それでもずいぶんと外出していた印象が残っている(当時は一緒に暮らしていなかったので、よくわからないところもあるが)。
そういう意味では、趣味も友だちも多い人で幸せな晩年をすごしていたと思う。

それから、自分の母のことながら、おしゃれな人だとも思う。いまでも訪問の看護師さんが来る日や施設に入浴に行くときには、きちんとお化粧をして「よそゆき」に着替えている。私と二人だけの時にはパジャマのズボンなどで過ごすこともなくはないが、他人の前ではそんな姿は見せない。母の知り合いの方に会うと、「お母さんは、昔からおしゃれできれいにしているから」とお世辞を言ってくれることも多い。

しかし、そんな母もいまは90歳。身体も不自由になり、体調も思わしくない。親しい友だちの多くも鬼籍に入ったり、遠くに住む子どもたちに引き取られてしまった。
卓球やダンスなどのスポーツはとても無理。懇親会だけでも参加したいと会費を払いづつけていたが、それもきっと運営側から見れば困るところもあるのだろう、いつでも来てください、という言葉をもらってこの3月末にはすべて退会してしまった。旅行はもちろんお茶会も、体調を思うと足が遠のいてしまっている。
10年前には、忙しく、楽しく生活していた母だが、いまでは、長年親しんだ家のなかで、一人で過ごしていることが多い。

毎日毎日続く、なにも用事のない時間。ほとんどすべて自由な時間ともいえるし、90歳の母にとっては貴重なものに違いない。でも、そんな時間とどう向き合えばよいのか、戸惑っているように見えてしまう。
介護にかかわること以外で、誰かが訪ねてくるわけでもなく、どこに行くわけでもなく。
唯一、自分から動くことといえば、家の中の掃除くらいか。綺麗好きは。ほとんど趣味のようなもので、身体がよく動いたころには、台所や洗面台はいつもピカピカだった。いまも身体の調子がよいときは、掃除をしていることが多い。しかし10分か15分もやれば疲れてしまうし、あとは椅子に座り込む、そのうちに寝てしまう。そして目を覚ますと、もう一度掃除の続きを始めたりする。

90歳を超えて不調のときも多いのに、調子がよいからといって掃除をやるなんてもったいない、と言いたいところだが、他にできることがないのかもしれない。
卓球も体操もダンスもやりたいけれどできない。友だちのところにお茶を飲みに行くのもひとりでは行けないし、しんどい。トイレの心配もある。
それではと、自分の家のなかでできることを探したら、掃除だったのかもしれない。母の本当の気持ちはわからないけれど、なんだかつまらない話だなあと思ってしまう。10年前くらいまで、あんなに忙しく、楽しそうだったのに。

ここまで生きてきた母に対して、なにか言うことも望むこともいまはない。
心穏やかに過ごして欲しい、できれば、私の心も乱さずにいてくれたら助かる、くらいがせいぜいだ。
それでも90の年まで生きていられるのだったら、いまの時間を楽しく過ごせるような趣味でももってもらえたらよかったと、余計なお節介かもしれないが、切に思う。
自宅でできて、身体が多少不自由でも楽しめるもの。それは何だろう?
いちばん手軽なのは音楽鑑賞か。読書は目が不自由になると少しつらいが、画集や写真集などはよいかもしれない。絵を描くことや短歌や俳句などの創作も、他人の評価を気にしなければできそうだ。
大それたことではないが、庭の花や木の変化を楽しむことができれば、それはとても豊かな時間になるだろうし、日の傾き、風の動きなどを感じられる日々は豊かだ。

そんなことを考えていると、これは実は私の20年後、30年後に当てはまることだと気づく。自分が母の歳になったときに、いったいどんな時間を過ごせるのか? 
母の毎日の姿は、私への問いかけなのかもしれない。


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